また3週間後には北欧だ、その後は中央アジアもいい。そうはっきりと言い聞かせて入国審査を通り過ぎたのはいつだろうか。今から3年前の2020年2月。得体の知れない何かが確実に日本の中で根を張りはじめていたころ、数週間国内の情報から遮断されている空間にいた自分はどこか信じられないような、そしてすぐ終わるだろうという楽観的な気持ちでいた。-おれ
と書いたところで終わっている下書きがありました。旅行前に並々ならぬ海外旅行への欲望が溢れすぎてプロローグだけでも、と書いていたものなのでしょう。しかし実際に行ってみればわざわざ整った叙情的な文章で旅を綴る必要性を微塵も感じられないような、普通の旅行になりました。それにもう帰ってきて一ヶ月以上経っているのでわざわざそんな凝ったことをしなくてもいいでしょう。賞味期限は大幅に切れていますが、折角タイトルで備忘録を謳っているので、備忘録程度に覚えていることを書き留めておこうと思います。ただし普通に今回は分量が尋常じゃないので、外国語ではなく、日本語で書いていこうと思います。近日のこのブログのコンセプトにあるまじき態度ですがお許しを。
ちなみに自分は実家暮らしなのですが*1、親が1週間の長崎旅行をしている裏で勝手にベトナムへ黙って行っているので、私がベトナムに行っていたという事実を親は知りません。
1日目
長崎行きの親を見送ってから3時間後、家を出ます。とりあえず今後のために家の前を走る東急バスを目に焼き付けておきます。別に普通のバスですね。
押上で乗り継いで成田空港へ。出国は3年ぶりということで胸が高鳴る…ということもなく、意外と覚めている自分に少しびっくりしつつ、機械的に荷物を検査に通し、搭乗口の近くのミソジニストレイシスト飯店*2でただ時間が徒過するのを待っていました。
ハノイ行きのベトジェットは驚くほど空いていました。自分の列には窓側に人はいましたが、真ん中は空いていましたし、3列丸々開いている列も見受けられました。ここまで空いているLCCは初めてだったので、まだコロナからの完全回復には程遠いなと痛感しました。
6時間ほどでノイバイ空港に到着。現地時間では21時すぎです。事前に入国審査は時間がかかると聞いていたので我先にとイミグレへ向かいましたが、着いた先には列ごとに2人ほどの待機しかおらず10分もかからずに入国。適当に両替を済ませ、たまたまいい感じに止まっていた駅行きの86番バスへ乗り込みます。フォロワーから「桁がバカでかいのでお釣りをごまかさてないように注意しような」と教えてもらってものの、早速桁を一個間違えて支払い。でも車掌が優しかったのでこれは桁が違うから、と紙幣を2つ並べて説明してくれました。優しいですね。バスの中ではDiscordで適当にオタクと会話していたら駅へはあっというまに到着し、駅からは適当にGrab*3を捕まえ、ホテルに到着。23時前と目標到着時刻の1時間前ほどに到着することができました。
これを知らなかったのでめちゃくちゃビックリしたのですが、どうやらベトナムでは客の豚面を防ぐために、宿泊時に身分証明書をフロントに預けなければならない習慣があるようで、これが外国人だとパスポートになるようです。50カ国ほど訪れてきましたが、こんな習慣がある国は初めてだったのでだいぶ驚きましたし、ちゃっちい金庫みたいなとこにただ入れておくだけだったので、部屋に入っても1時間位気が気でなかったです。でも疲れてたのでいつのまにか寝てました。
2日目
今日は、都市鉄道を1日満喫します。都市鉄道のある都市を訪れたら必ずそれに乗るというのは全人類の旅先でしたいことランキング1位の行為ですが、河内での滞在は2日あるので、1日まるまる都市鉄道とその沿線散策に時間をつぎ込みます。
ハノイの都市鉄道は現在中国資本により2021年に開業した全線高架の2A線のみが営業中ですが、来年度中には地下路線の1号線も開通するようです。現在都心側の起点駅となっているカットリン駅は、いわゆる旧市街から少々離れた場所にあるため、都市鉄道としての能力を全く発揮できていないようですが、2A線の開通により、繁華街の西端に位置する国鉄駅に接続するようなので、もう少し利用価値のある路線にはなるのではないでしょうか?
ホテルはその都心側の起点駅、カットリン駅前にあるので、駅まではらくらくアクセス。とりあえず録音しつつ終点まで乗車。終点からは戻る格好でひたすら駅を降りていきます。この都市鉄道がほかの都市鉄道と違うなと思ったのは、駅名連呼が全駅に設定されていること。日本だと当たり前の様に駅名連呼が都市鉄道でも流れる会社は多いですが、海外ではなかなか聞きません。少なくとも自分が訪れた都市では初めてだったような気がします。それも全駅流れるとなれば、全部録音しなければなりません。(結局途中でめんどくさくなってやめましたが)というわけで以下は、降りた駅の写真集です。興味ない人は飛ばしてください。
途中の第3環状道路駅では、バスに乗り駅から3kmほど離れた食事処へ出向きました。外国人が一切いないような地区ですが、ここに目当てのものを提供する店がありました。苦手な方もいるでしょうから特定の単語を敢えてベトナム語のまま書いておきます。気になる人は勝手に翻訳してください。お目当ての店舗は一見、一元さんおことわりというような感じですが、店内から親切そうな店員さんが出てきてそれも英語が通じるご様子。ここまで驚くほど英語が通じていなかったのでだいぶ安心しました。「thịt chóとthịt mèoどどっちがいい?(英語で)」と開口一番に聞いてくるあたり、外国人がどういう需要でやってくるかわかっているようで、自分はthịt chóは以前中国で食べたことがあるのでthịt mèoを食べることに。
予め出されていた胡瓜と水菜のようなものを食べながら*4待つこと20分、お目当ての料理が提供されました。これが非常に美味しい。thịt chóに関しては筋張っていて、香辛料と一緒にじゃないとまともに食えたもんではないのですが(それでも鍋にするとそこそこおいしい)、こちらは普通にやわらかい豚のような感じで美味しい。特に皮近くの脂が良質で、これがその美味しさを引き立てているような感じがします。西洋人によるエスノセントリズムの押し付けから徐々にこの様な食文化が萎縮してきている中でも、この美食の街ハノイで「リトルタイガー」という愛称でthịt mèoが今もなおごちそうとして愛されている理由がわかった気がします。食べづらいのは難点ですが、なんならタレ無しでそのままでも行ける美味しさです。とはいえにんにくの入った魚醤につけて頂くのが一番いいですね。ビールも進みます。こんな経験をしてお値段たったの1000円。いくら物価の安い国だとはいえこんなものを食べたらそれくらいするだろうと3000円程度の出費を想定していましたが、流石にこれは腰を抜かしました。少し変わった体験がしたい人にはオススメですよ。
というわけで全駅下車に戻ります。
この日は金曜日だったのですが、ポートレートの撮影をしているグループが多かったですね。それまではせいぜい3時間に1本の地上を客レが走るような国鉄しかなかったわけですから、初めての都市鉄道というのはどの都市でも面白いアトラクションになりがちだとは思います。ただ、開業から1年経ってもこそこの人間に物見遊山的な使われ方をそされているのは少し意外です。中には日本のJK風のコスプレをしている人もいて、まあ確かに日本の学生は当たり前のように電車を使って通学しますから納得がいく背景選択だなと。
全駅下車も一通り終わったところで暇なので、地下鉄と半分くらい並行しているBRTに乗車。日本に溢れかえるBRTもどきガチアンチとしては、ちゃんとBRTがBRTしている都市はいい都市だと思います。ただし運転がベトナムクオリティなのはご愛嬌。クラクションの鳴動時間はのべ乗車時間の半分といったとこじゃないでしょうか。まあBRT専用ゾーンに入るバイクが悪いのは自明ではありますが。
夜はフォーを食べにレーニン広場方面へ。レーニン像の前でスケボーをする若者を右手にフォーの適当に見繕った店に向かいます。最低限一般人ムーブをしようと所謂名物料理を食べに店に行ったわけですが、そんな逆張り精神をふっとばすほどのうまさに驚嘆。以後、飯は全部フォーになります。ブンチャは食ってません。
あとは適当に夜の地下鉄を数本見ておわり。寝ます。
3日目
この日は普通にハノイ観光。普通なので写真も文も少なめ。行った所を順番に並べて私見を羅列。突然レイアウト変わってごめんね
ベトナム軍事歴史博物館
当方はミリしら(ミリタリーについてミリも知らないこと)ですが、そこそこ楽しかったです。なんせベトナムはアメリカにも中国にも勝利した世界最強国家ですからね。これを見ないわけにはいきません。館内にはいわゆる戦争そのものに焦点を当てた展示が拡がっており、当時使われた武器や戦車、戦争の経過などを展示しています。やはり白人が多く、現地の人を除けばアジア人は見なかった気がします。
タンロン城跡
こちらは世界遺産ということで入りました。歴代の王朝がこの地に都をおいたベトナム文化の中心地であった地です。やはり同じ文化圏であることを再確認しつつ各方面から聞こえてくる日本語に逆張り精神が発動し、ガン萎えしました。前の人が普通に俺のいた大学の学生証持ってたのが一番萎えた。個人的に一番面白かったのは遺跡そのものではなく、遺跡と同じ敷地の地下に造られたベトナム戦争時の北ベトナムの総司令部が置かれた地下壕でした。内装がそのままなので生々しい緊迫感が伝わってきます。
ドンスアン市場
変なもんがいっぱい売ってる。なんか俺が小学生の頃抱いてたベトナムのイメージに近い感じ。おわり。何も買ってないもん。人が多くてそれどころじゃなかったので写真は撮ってません。
コンカフェ
ベトナムまでいってそんなとこいくなよ。え?それは大きな勘違いです。コンカフェはベトナム発祥のカフェで、コンカフェのコンは「共」という字を書きます。そう、コンカフェの原義は共産党カフェだったのです。コンセプトではありません。ガチです。今でも共産党の一党独裁とはいえ、80年代にドイモイ政策を掲げたベトナムでは、同様に自由経済を導入している中国とは比べ物にならないほど、人々は自由な暮らしをしているように見えます。しかし、それまでは崩壊していったような典型的な東側諸国と同様に厳格な監視社会であったわけです。そういうドイツのオスタルギーのような古い社会を懐かしむような一種の憧憬をベースに、当時の家屋を再現した内装をオシャレなものへと昇華させたのがこのコンカフェなのです。日本で見受けられる陳腐な「コンセプト」とは違い、人々のノスタルジーがこめられた「コンセプト」、素敵じゃないですか。運悪く提供されるまでにそこそこ時間はかかっていましたが、それでも素敵な空間だったので大変満足でした。ヨーグルトなんとかみたいなのがおいしかったのでおすすめ。
ホアンキエム湖畔
とはいえ、やはり鎌と槌が添えられた標語がでかでかと書いてあると共産国家なんだなと改めて認識しますね。これはあるあるです。
そしてこの湖畔、これまでのカオスなクラクションが鳴り響く空間とは打って変わって、歩行者天国になっています。先程までの喧騒がまるで嘘かのように静まり返っており、少しながら恐怖さえ覚えました。
湖畔近くのベトナムで一番学術書が充実していると書かれていた本屋へ。こちらで探していた、漢越語の日本語の対照辞書を買いました。1kgくらいありますが、荷物はせいぜい3kgしか持ってきていないのでLCCの重さ制限に引っかかることはないでしょうし安心ですね。
国鉄おためし乗車
本当はハノイからホーチミンを結ぶ南北鉄道を完乗したかったのですが、2日かかり旅程の都合が合わず断念。代わりに、ハノイ近郊でちょこっとお試し乗車をすることにします。
14時15分発のハイフォン行きでハノイの2つ隣、ザーラムまで約25分の旅です。ハノイの隣のロンビエンからは驚くほどの乗客が乗ってきて通路にプラスチック椅子を展開し座る客が多数発生していました。1日数本かつ高額な国鉄で都市内の短距離利用なんぞ想定されていませんから、この状態で降りられるかどうか少し不安なところはありましたが、なんとかむりやり通って事なきを得ました。
ザーラムからは再び市バスで市内へ戻ります。鉄道がトロすぎるので同じような所要時間で市内にもどってくることが出来ました。
トレインストリート
ハノイには線路上を歩くことができ、更にその左右に広がるカフェで列車の通過を見送ることができるスポットがあります。
というか、ありました。正確にはまだあります。このトレインストリート、「黙認」状態だったわけですが去年の10月頃から当局が本腰を入れて排除に乗り出したようで、入ろうとする観光客を片っ端から追い出していました。しかし、タイミングよく線路内に侵入できた観光客はカフェの中でのほほんとお茶を飲んでおり、店の中の彼らを排除する気配は一切なかったので、なんともまあ中途半端だなと思いました。かくいう私もタイミングを30分ほど伺っていたのでずが、入れず、代わりに「トレインストリート」と呼ばれる区間ではないものの、線路沿いにカフェが在り、かつ警備員のいない区間のカフェでビールを飲みつつフォーを頂きました。これはマジでお勧めです。こっちもいつ閉鎖されるかわからんので早いうちにいくことをおすすめします。
夜市
市場からホアンキエム湖にかけて夜市が展開されるということなので見に行きました。ほとんど衣服でしたね。当然値段も尋常じゃないほど安かったですが、服は嵩張るのでLCC向きではないですね。「夜市」の範疇ではないですが、ホアンキエム湖界隈ではもっといろんな出店が出ており、古の(今もあるんですかね?さすがにあるか)夏祭りのような雰囲気になっていました。
これでハノイ観光はおしまいです。次の日の飛行機が朝の5時発なのでこの日は空港で寝ることに。せっかく時間があるので、空港へは行きに乗ってきた86番の急行バスではなく、90番という一般路線バスで空港へ。このバスは一般道を走るだけでなく大きく迂回したあげくカスみたいな道路を通って空港へ向かうので実に86番の3倍ほど時間がかかります。しかし、値段は1/6ほどです。どっちをとるかということですね。まあ、86番でもせいぜい都内のバスと同じ210円とかなんで変なオタクじゃない限り時間効率を優先するといいと思います。
4日目
3時に起きチェックインを済ませ、5時の飛行機に乗り、7時にタンソンニャットへ到着。タンソンニャットはホーチミンの空港ですが、この日の目的地はホーチミンではありません。109番バスでホーチミン市街へ向かうことは向かいますが、すぐに5番バスに乗り換え、ホーチミン東郊の縁に到着、そこで更にビンズン省の省都、トゥーザウモットへ行くバスを待ちます。
これから向かうのは、ビンズン新都市という2010年初頭から新たに造成され、現在も絶賛開発中の新都市です。ではなぜここへ行くのかというと、ここには東急バスが走っているからです。これで冒頭の東急バスを見るとかいう雑な伏線が回収されました。で、なんでこんなとこに東急バスが走ってる理由は、端的に言えばその都市開発に関わっているからですね。こんな感じのバスです。塗装は違えどちゃんと東急と書いてあります。
ここでの詳細をいろいろ書きたいなと思っていたのですが、折角なら同人化したほうがおもしろくね?ということでべカメックス東急バスの同人を書きたいと思います。その中でいろいろわかったことをいろいろ書いていきたいと思いますので、ここでの行動はすっ飛ばします。書いた所で2日がかりでこの東急べカメックスバスを乗り回していただけなので、ブログ的にも映えないでしょうしね。
と思ったのですが、べカメックス東急バスは今月に新路線を一気に2本も開通させたそうです。書こうと思ってた情報が最新版じゃなくなってしまうらしいので、同人化は見送り、別記事としてこのあたりの情報を放出するかもしれません。
ちなみに、べカメックス東急バスの本社営業所に出向き、全線定期を購入しました。お値段1ヶ月有効でお値段約2800円。1乗車は100円弱ですから、3日の滞在ではもとが取れません。おまけに有効日は翌日から。しかし、お土産として考えるならまあ全然許せる価格だったので迷うことなく購入。最初に出てきた営業所の初老の方はベトナム語しか通じなかったので、これはハードモードか?となりましたが、奥から出てきたお兄ちゃんは英語が使えたので事なきを得ました。東急繋がりで自分の住む鷺沼の話をしたら、そのお兄ちゃんもビンズン新都心のおすすめスポットを紹介してくれたので非常に楽しいひとときを過ごせました。
そんなこんなで普通に残金を気にせずバンバンお金を使いまくっていたら、残金が日本円にして2000円しかないことに気づきました。市中の銀行で両替ができる確証はないうえ*5、そもそもこの日は日曜日なので銀行が開いていないので確認もできません。というわけで最悪この残金だけでホーチミンまで帰り着かなければならない可能性もある事に気づきます。というわけで折角物価の安いベトナムにいるにも関わらず超貧民生活を決行。この日の夜は屋台で買った80円くらいのバインミーだけです。
5日目
バスは無料ですから、この日はひたすらバスに乗っていました。一応全系統に乗り、録音しました。そこまで系統は多くないですがそれでも半日がかりでしたね。詳細は別の記事か同人に譲ります。ちなみにお金はトゥーザウモット市中の銀行で変えられました。自分はドルから両替しましたが普通に日本円も対応してましたよ。
6日目(5日目は省略です)
適当に朝起きて、朝イチのスクール便を録音。トゥーザウモットから空港へ直行してもいいな~とも思っていたのですがバスの時刻表もない町から時間ギリギリで直接空港に乗り付けるのは怖いとチキった結果、15時ごろにはホーチミン市街へ戻ってきていました。とりあえず、高島屋で用を足した後、地下鉄の工事現場にはためく日本国旗を見て愛国心を高めた後、地図上で目についたベトナム戦争証跡博物館へ向かいます。ハノイで入ったの様な軍事博物館のノリかなと思いつつ軽い気持ちで入ったのですが、ここはどちらかというと戦争に依る被害者に焦点をあてたものでした。ただひたすらに凄惨な写真がずらりと並んでおり、自分は途中でギブアップしました。もちろんプロパガンダ的な要素もある施設というのは重々承知ですが、それでもこの戦争の凄惨な映像や画像というのは、ほとんど所謂当時の西側陣営のカメラマンにより撮られたものであり、現在ではこれらは両国の陣営において揺るぎない歴史的事実として記述されているわけであります。まあなんというか、戦争はなぜなくならないんでしょうね。あまりに壮絶すぎてそれくらいしか感想が出てきませんでした。
折角いい気分でここまできたのに、惨憺たる気持ちでこの国を離れたくない。ということで、近場の山羊肉BBQをできる店を見つけたのでそこに入店。ホーチミンの一等地だし流石に英語くらい通じるやろという気持ちで入ったものの、やはり英語は通じず。でも何故か俺の机だけつきっきりで店員さんが焼いてくれたのでめちゃくちゃ美味しかったです。公園でぼーっとしたのち、レストランで残金との格闘中に見つけた激安バスで空港へ。この空港までのバスでは途上国特有の交通渋滞の洗礼を受け、市街地から7kmほどと格段にアクセスのいいはずのタンソンニャット国際空港まで1時間もかかってしまいました。しかしチェックインカウンターがクソ並ぶという情報を得ていたのでなんやかんや3時間前には空港に到着。更にチェックインカウンターもびっくりするほどガラガラでしたので空港では手持ち無沙汰に。適当にオタクと通話しつつ、飛行機までの時間を潰しましたとさ。
7日目
日本についたので書くことはありません。帰り際に快活に寄り、この時期の日本では洗濯物としてあり得ない半袖の数々をコインランドリーに通し、帰宅。
これでおわりです。ちなみに次の日、親にハイランズコーヒーの袋を見つけられバレました。ハイランズコーヒーだけでピンとくるとは思いませんでした。そういえば父母はホーチミンに行ったことあったのを忘れていました。バカ笑われたのでまあよしとしましょう。次はいつ海外に行けるかはわかりませんが、ぼちぼちまた行けるようになってきたのでまた近いうちに行きたいですね。ウズベク語とキルギス語は多少わかるので、次は中央アジアに行きたいですねぇ。地下鉄もありますし。多分またこのブログは当分日本語を使わない更新になると思います。ぜひGoogle翻訳を使ってでもいいので異言語記事にも目を通してほしいです。それではまた、近いうちに。