コソボの悪口、語らせて下さい!

 別に普段から自分の心象を言語化していない訳ではない。140文字以内で屑屑と累日のルーティーンを綴文をするという行為は実に愉しくまた、文章の才幹もレクシコンもない自分にとってはそれが等身大上の自分を表象する場として最適解であろう。しかし他人の佳什に目を向けると、長文で言語化する行為もまた悪くないように思える。こうして備忘録と名がつけられたこのブログは誕生したわけであるが、如何せん更新頻度はこのとおりである。せっかくなので、普段からあれこれ言ってるコソボの悪口を集約しておこうね。これがこの記事の趣旨です。 

 

はじめに

 この記事は私のツイッターをよく知ってる向けに、普段繰り返し擦ってるコソボの話を体系立てて纏めて記録しておこうというものです。長期滞在した専門家でも研究者でもなく観光者として1泊だけした自分がプリシュティナで起こったことを有りの儘に書いた記事です。そのため、「コソボ」のことが知りたくてここに辿り着いた人にこの記事を読むのはあんまりお勧めしません。(多分そんな人はいないと思いますが。)あくまでこの記事は、極力視点の主観化に徹したうえで自分の感じた〈コソボ〉を皆様にお伝えする記事であるとお考え下さい。

 

コソボってどこやねん

 コソボ中欧セルビアの南端にある自治州です。旧ユーゴスラビア連邦を構成していた州の一つでしたが、セルビアの内戦の結果一方的に独立宣言をしました。現在日本を含む93カ国から承認を請けているようですが、国連加盟国は195あるわけですから、まあ半分近くの国から国じゃないと思われてるわけですね。日本では「国」として認められていないパレスチナは137カ国に承認されているわけですから、正真正銘の「国」であるとは言えないでしょう。少なくとも私は思っていません。

 

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サラエボの包囲とスレブレニツァはやりすぎだと思うけどコソボは国じゃないよね

コソボ日記

 というわけで、コソボであったことを全部お話しましょう。去年の2月約一ヶ月ほどで卒業旅行もどきで東欧をリトアニアビリニュスからセルビアの首都・ベオグラードまで縦断していました。そして査証スタンプラリーの一環としてコソボに寄ることになったわけです。

 

コソボ入国2日前くらい

 20日前くらいから予約していたプリシュティナのホテルからメッセージが届きました。内容は「前から泊まってた客が延泊したいっていうから彼らを泊めることにしちゃった。悪いけど部屋の空きがないからキャンセルしてくんない?」というものでした。この当時はまあそういうこともあるよな~位で「まあいいよ。もう規約だとキャンセル料発生しちゃうんだけど請求しないでね?」みたいな返信をしました。すると「当日までにキャンセルしてくれたら手数料は取らないよ、でもキャンセルしないと全額取るからね。」みたいな威圧的なDMが送られてきました(こっちはもうメッセージが残ってないのでもしかしたら英弱な自分の勘違いかもしれないが)。なんともパッとしないけど他に良いホテルが予約できたのでゴネずそのままに。よくよく考えれば変な話ですよね、先に予約してたのに後から予約してきた人を優先的に泊めてキャンセルしろなんて、それも直前に。この時点でこの地域の異常性に気づくべきでした。

 

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俺英語間違ってるかも

 

コソボ入国日

 コソボの南に位置する北マケドニアスコピエに前泊。バスターミナル10時発のプリシュティナ行のマルシュで一路コソボへ向かいます。コソボでは手持ちのSIMは使えない為、北マケドニア国内でバスターミナルからホテルまでの行き方や観光順路をメモしておきます。そんなことをしてるうちに国境審査も無事に通過。荒廃した住宅や真新しい高速道路を車窓に見ながら2時間半ほどでプリシュティナのバスターミナルに到着します。先程のサーチでバスターミナルと市街地を結ぶ路線バスが存在しないことを掴んでいたので徒歩で向かうことにします。そしてバスターミナルを出た途端、周囲の雰囲気の変化に気付きます。すれ違いざまの鋭い視線、鼻や口を手で覆うジェスチャー。更には「●△※コロナ★◎?~」という明らかにこちら側に向けられたセリフ。これが一回だけなら良いのですが、断続的に続きます。すれ違う人の半数がこのようなアクションを起こしていたと思います。アジア人が一切いないような町でまるで宇宙人を見るかのような好奇な目で見られるのは慣れているのでいいのですが(寧ろ心地よさすら覚える)、まるで病原菌そのものを見るような目でジロジロ見られるのはいい気がしません。ホテルまで20分ほど歩いたでしょうか、心理的には1時間位かかったと思いますが、その時点でヘトヘト。とりあえずホテルについたので荷物を投げ、併設のWifiで情報収集をします。その結果、さっきのバスターミナルまで行きチケットを買い、そのまま市内の見どころを一周するコースをたどることに。この時点で自分はもう外出せずただベッドで横になっていたい一心でしたが今晩の飯も明日のチケットも無い様ではこの国を脱出することもできず、重い腰を上げて仕方なく来た道を戻ります。

 この先は特筆する必要もないでしょう。差別的言動と行動のオンパレードです。ホテル→ビルクリントン銅像→バスターミナル→プリシュティナ中央駅→セルビア正教会の廃墟→中央図書館→NEWBORNモニュメント→ホテルの順に回りました。唯一救われたのは中央図書館にいた大学生が我々に対しフレンドリーに接してくれたことでしょう。どうやら我々を見ただけで中国人ではなく(コロナ=中国人というイメージ像による差別的な意味ではなく、欧米では大抵差別感情の有無に関わらず、我々黄色人種は中国人だと思い接してくるので)日本人と認識していたらしく、色々な話をしてくれました。やはり図書館にいるような人は教養レベルも高いですね。彼以外の市民はほぼお察しなんですけどね。スーパーで適当に飯を買い込みホテルへ入庫。Twitterで文句をぶちまけながらこの日は就寝です。

 

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こんな馬鹿みたいにエナジードリンク飲むからコソボの人はçmenduriになったんか?

コソボ出国日

 一刻も早くこの町を抜け出したい。その一心でチェックアウトをし(と言っても無料の朝食は食べましたが)、バスターミナルへ。一夜経ったからと言って市民のレベルは変わらず。ヘイトスピーチの自由市場を通り抜けるとそこはバスターミナル。地獄からの脱出口です。指定時刻の指定の乗り場からバスに運転手にチケットを見せバスの中に逃げ込もうとします。すると手で制止されパスポートを見せろと。国際便ですからね、提示の必要性もあるでしょう。パスポートを渡します。すると、パスポートを返され「No bus.」とだけ言われます。❓❓チケットとバスの行き先も時間も一致しています。これはティラナに行きますよね?と聞いてもただ首を横に振られNoと。思いっきりバスの顔にティラナって書いてありますよ。じゃあどこにこのバスは居るのか?と聞いてもつっけんどんな返事。もうこの時点で私は運転手が何を意図してその発言をしているか解っていましたから、熱もないし健康だと手持ちの体温計を持ってしてまで乗せろというつもりでした。しかし一向に埒が明かないので自分の信念に反する人種差別的な発言を仕方なくしてしまいます。「俺は日本人だ。コロナの中国人じゃない。」と。この発言の後、運転手は顔をしかめ同乗のもうひとりの運転手の元へ、1分くらい相談をし降りてきたと思えば早く乗れというジェスチャー。我々は勝利しました。この土地を出られなくなったら冗談じゃない、その気持ちからかもはや最後は怒鳴り合いになっていたようです。

 とは言っても次へ向かう国はアルバニアコソボの民族構成は9割強がアルバニア人でありアルバニアコソボは蜜月の関係ですからまた地獄のような苦行が始まるのだろうと意気消沈しながらバスは一路ティラナへ。ただ座ってるだけで何も言われない天国のような時間はあっという間に終わり、バスターミナルでバスを降りました。すると大声でまくしたてる声が。はぁまたそれかと思いなるべく音を拾わないように構えていたらどうも耳に入ってくるのは「Taxi」という音韻。なんだただの客引きかと思い丁寧に断ると「OK.Have enjoy in tirana.」ということばが。差別的言動どころかその商売気のない単純な親切心からのその発言に仰天し、極力視線を合わせないように下を向いていた自分が無意識のうちに目を大きく見開きその顔を見てしまったのを覚えています。その後、別の客引きにも声を掛けられたので(めっちゃ我慢してたので)断った上でトイレは何処か尋ねたところ、嫌な顔ひとつせず丁寧に位置を指差しで教えていただき、その運ちゃんもそれ以上の客引きをせずに他のところへ消えていきました。前日コソボにいたことを抜きにしてもそのホスピタリティの高さは先進国に比肩するどころか超越してるかもしれない、という自分の予想は裏切られることなく、ティラナの町も安心して夜まで散策することができました。

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ティラナだいすき💓♥❤

 

 

悪口

抜きん出たコソボの酷さ

 今と比べたら感染者も死亡者数も段違いですが、段々と中国から他の国へ広がりつつある時期でしたし、こちらも多少の差別は覚悟のうえ、入国拒否まで視野に入れ行動していました。(現に行くはずだった沿ドニエストルはコロナが理由で入”国”拒否されるとの情報を掴んでいたため行けなかった)アジア人差別の一つや二つはどんな国いってもありますからね。この行脚中もスコピエやこの後に行くコトルやサラエボで同じようなことはされました。ただ、何処においても町行く人の大半がこういう行為をしていたわけではなく、それは数えるほどでした。視界に入るいずれかの人がこういう行為をしていたのはコソボだけです。そして、先述の通りコソボと同じ民族の住むアルバニアではそんなことは一切なく高待遇をうけました。僕は単純なのでアルバニア大好きです。そしてこの事実からも民族的な見地からその差別を断じることはできないわけですね。

 

君たち紛争で何を学んだのかしら

 コソボセルビアからの独立のため紛争をしていたのはほとんどの人が知っているでしょう。その紛争はセルビア人によるアルバニア人に対しての人種差別的な扇動を皮切りに両者が主体となった泥沼の民族浄化に繋がったものだと記憶しています、というか教科書の上ではそういう事になっています。それがほんの20年前の話のはずですね。でも蓋を開けてみればこれ、勿論コロナが怖いのはわかりますよ。得体のしれないなにかから自己保身に走るのは当然でしょう。でも私はその得体のしれない何かではなく一人の人間なわけですね。さあ、20年前経験した(とされている)地獄は彼らに何を齎したのでしょう。少なくとも中心部に誇らしげに置いてある「NEWBORN(新生児)」のモニュメントが私の目には空虚に写りました。

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REDZONEより最悪な7文字

 

おわり

これからも自分はコソボのことを嫌い続けますし色々と悪口を幾度と言うことでしょう。しかし何度も言いますがこれは私が観光客として見たコソボでありコソボの全てではありません。立場を変えれば別のコソボが見えてくるかもしれませんし、気になる人は行ってみるといいかもしれませんね。自分はオススメはしませんし、二度と行きたくないですが。まあでもこの経験がなかったほうが良かったとは言いきりません。その時は「早く帰りたい」という一心でしたが今思えばそれも贅沢な悩みですよね。今は海外に行きたくも行けないのですから。早くコロナが収束して気軽に高飛びできる時代が戻ってくるときを信じで私は生きています。そして最後にコソボで私達に親切にしてくださった数え切れるほどのすべての皆様に御礼を言いたいと思います。急に前日に予約を入れたアジア人を普通に泊めてくださったTホテルオーナーの方、朝食を普通につくってくださったホテルの料理人の方、バスのチケットを普通に売ってくださったチケット売り場の方、町中やバスの中で私達に無関心であった市民の皆様、図書館で話しかけてくださった学生さん、スーパーで普通に会計をしてくださり、更には袋詰まで手伝ってくれたレジの方、あまりの怒りに当日ホテルで送りつけたDMに対してご丁寧に返信してくださったコソボ日本大使館Twitter担当の方、ありがとうございました。あなた達の御恩は一生忘れません。

 

 

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プリシュティナ市民のちくちくことばにビル・クリントンも泣いています

 

 

おまけ

 アルバニアや悪名高きコソボで使われるアルバニア語は大変面白い言語です。英語、ドイツ語、フランス語、サンスクリット等の世界の派遣を握る印欧語族の中でもかなり祖語に近い状態が保存された古い言語で、なかなか複雑な文法体系が魅力です。中動態が残っていたり、時制が8個あったり、複数形の変化が20種類あったり、定冠詞が後置と前置の両方あったり、バルカン的な代名詞の二重使用もあったり…ともかく複雑ですがでも面白いです。言語がそもそも大好きな方にも英語が苦手だけど何か他の言語を習得したい!という方にもおすすめです。アルバニアで使えるので。日本語の参考書は『アルバニア語入門(大学書林)』というのがおすすめですが、中古市場にすら基本的に出回ってません。3日前に1冊だけAmazonマーケットプレイスに出てましたが俺が喜々として買ってしまいました。そしてなぜか国会図書館で本を検索しても出てきません。泰流社という出版社からもアルバニア語を扱った本が出ていますがこの出版社の本はお勧めしません。『アルバニア語1500語(大学書林)』はまだ町中の本屋でも見かけます、基本は単語集ですが軽い文法便覧があるのでなかなか理解するのは大変かもしれませんが十分複雑さは体感できると思います。英語に抵抗のない人は『Beginner's Albanian (Hippocrene Beginner's Series)』がおすすめです。お手頃価格でなかなかの充実度だと思います。後は定番のColloquialシリーズの『Colloquial Albanian』もおすすめです。高いですが信頼できる本だと思います。最後は妾の拙いアルバニア語でお別れしましょう。

Prishtina është me siguri më i ulëti ndër qytetet e Serbia. Mirupafshim. Faleminderit.

年末なので

 お久しぶりです。前回の更新からは2ヶ月しか経っていないようですが、いろいろなことがありまして、時間に断層的な変化が感じられたこの半月。前回の更新もこの記事で触れる中国旅行もさも2年前のような感覚です。それでですね、今年は自分にとってどんな年だったか?と聞かれると先述のできごとはさておきやはり「中国イヤー」だったと思います。4回も(広義の)中国に行くことになるとは正直去年の僕は思ってもいなかったでしょう。というわけで今年最後の記事は中国の旅行記です。

 9月末に中国に行ったのは前回のまとめでも触れたとおりですが帰ってきてすぐに人民鉄路が恋しくなってしまいました。更にその2週間後に片道10000円弱で航空券が取れるセールをやっていたので授業がない学園祭の期間のeチケットお客様控えを産出。前回の中国も共にしたオタクと2人で行くことに。ほんと中国は近くてお気楽に行けていいですね。

 

1日目 自宅→重慶

 重慶、皆さんは知っていますか。中国の4つある直轄市のうちのひとつですし、データによっては東京を抜き「世界一人口の多い都市」だなんて言われたりするところ*1なのでそこそこ有名な街ではないでしょうか。そんな重慶、長江沿いの盆地の中にあるわけですが、その長江によって非常に巨大な河岸段丘が形作られているため、町の中は坂?というか崖だらけ。その為、市内の軌道交通としては一般的な地下鉄の他にモノレールが中国では唯一導入されている街だったります。さらにそのモノレールは中国がまだ発展途上だった時期から造られたため、日本のODAや技術協力で建設されていたり、中国特有のダイナミックな構造物があったり、更にはその路線とは別に中国が独自の技術で近年完成させた路線があったりと見どころ満載。そんな重慶がこの旅の一番の目的地であるので成田から直行便で直行。

 ご利用はいつもの如くピンチケ航空IJさん。プレハブピンチケターミナルからピンチケな時間帯に乗り込みます。鷺沼の始発電車じゃないと2時間前に空港に着けません。あまり冴えないままたどり着いたチェックインカウンターも既に人民だけで溢れかえっており、成田なのに周りからは一切日本語が聞こえません。早速人民の洗礼を受けていますね。

 ただピンチケターミナルといいつつも保安検査が混んでるのはいつも国内線だけ。駅からは遠いけどT1やT2よりもこれに関しては遥かに人権があると思われるガラガラの保安検査場とイミグレを通り抜け適当に時間を潰します。搭乗後に機体トラブルかんかで一悶着あり空港を40分ほど遅れて飛び立ちます。

 6.5時間のフライトです。ピンチケフライトではかなり長い部類に入るんじゃないでしょうか。退屈で窮屈なフライトでしたが1万でこれだけの距離を飛んでいるのですから文句は言えません。遅れて飛び立ったものの重慶江北空港到着はほぼ定時でした。到着した第3ターミナルは非常に綺麗で新しいのですが、出来たばかりなのでATMすら見つけられず。しょうがないので第2ターミナルまで免費巴士で移動。無事ICBCのATMを見つけて現金を引き出します。やはり両替はレートが悪いのでこの方法が一番安く済みますね。その分今みたいにATMを探す手間がかかりますが。

 さていよいよ重慶の軌道交通に乗ります。とりあえずホテルに荷物を置くために移動しますが乗っけからモノレールです。しかしこのモノレールは3号線という先述の中国が独自に(といってもほとんど日立の技術供与したのを転用)造った路線です。まあなんというか、かなり混みます。龍頭寺という駅までは10分に1本しか電車がないのでそれも混雑に拍車をかけているようです。因みに車窓はめちゃくちゃ面白いです。湘南モノレールを更にエキサイティングにした感じで、スピードは出しますが坂は多いし、おまけに一部の区間では建物との距離がかなり近くなっています。とりあえず、ホテルの最寄駅、獅子坪で下車し、ホテルに荷物を投げ込みます。

 ホテルは雑居ビルの中のワンフロアをテナントとして貸し切りその中に客室があるという日本では見ないタイプのものでした。ホテルのフロントは例のごとく英語すら通じないのですがハートフルコミュニケーションで事なきを得ます。部屋も広く立地も高速鉄道の発着する北駅から徒歩10分ほどなのでこれで一部屋4000円強となるとかなりコスパはいいですね。4時前にはつけたので少しはんなりしてから市街へ。

 繁華街で観光する前に、今回の旅行で使う人民鉄路の切符を仕入れます。日本からも予約できるのですが、代理店経由でしか出来ない為世紀の運賃の他に、手数料もかかってしまいます。なので空席情報を人民鉄路の公式サイトで照会しながらギリギリで取ると埋まってしまいそうなものだけを代理店経由で予約し、それ以外のものは付いたその日のうちに駅でまとめて買ってしまおうというわけです。ちなみに日本のみどりの窓口と同じ様に、全国の切符を窓口がある駅であればどこでも買うことが出来ます。ここで最終日に乗る予定だった青島→天津の特快列車の寝台が埋まっていたことに気づきましたが、同じ区間にたいてい何本も寝台列車が走っているのが中国のいいところ。快速列車の寝台を取ることで難を逃れました。

 駅での作業も終わり、繁華街へ。先程も乗った3号線に乗り牛角沱へ。こちらで3号線から2号線に乗り換えます。この2号線もモノレールですがこちらは日本のODAでつくられた路線です。そのためここを走る車両も大阪モノレールそっくり。全くの別系統なので階段を下ってホームを換えますが、モノレール同士の乗り換えというのもなかなか新鮮です。そのまま中心部の最寄り駅、臨江門駅へ。

 地下駅から地上に出るとまあそこは高級ブティックやらが立ち並び銀座のような雰囲気を醸し出していおり、まるで資本主義国家にいるかのような感覚に陥りますが、中国は「「社会主義国家」」でしたね。サギンから坂を下り10分、川沿いのビルのライトアップやそこそこ有名な建物(といってもレプリカ)を見ながら1駅分歩きモノレール2号線の黄花園駅へ。この駅は川沿いにあるのでなかなか駅のホームからもきれいな夜景が見られます。来た道を引き返しホテルへ戻り地ビールを飲み就寝。ビールは味が乗っててそこそこうまかったです。

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洪崖洞。駅近くに佇む観光名所で、崖にへばりつく伝統建築「風」の建物。



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夜景もプロパガンダ

 

2日目 重慶成都

 この日は思いっきり重慶を堪能します。無料の中国特有の饅頭と味のない粥で朝食を済ませ、チェックアウト。地下鉄の1日票を18元で買い、荷物を夕方成都まで行く高速鉄道が発着する北駅の北広場の荷物広場へ預けます。ところでこの重慶北駅、構造が他の人民鉄路の駅と比べても遥かに構造が複雑になっています。というのも重慶北駅は北広場と南広場があるのですが、それぞれが駅の構内で繋がっていないどころか駅の外にもそれぞれを結ぶ地下通路なり跨線橋が存在しないのです。地下鉄も2路線この駅に発着しているのですが、入口が3号線が南広場にのみ、10号線が北広場にのみ設置されており、両者の間は地下鉄でも行き来できません。(3号線から北広場へのアクセスは隣の龍頭寺駅がつかわれているものの徒歩10分はかかった。)歩いて移動するには駅から少し離れた西側の陸橋を渡らざるをえず、距離にしておよそ3kmほどあります。その結果、北駅と南駅の間は622系統という2元の有料のバスで移動する他ないのです。切符の上には「北広場」と印字されているのですが、こんな構造の駅、中国国内にもここ以外私は知りませんから大混乱は必須のようで、旅行者のブログを見ると間違えたみたいな記事をよく見ます。なんとかならないんでしょうかね。因みに自分らはホテルから10号線の駅まで歩き、そこから直に北広場へ行きます。

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重慶北站北広場駅。未開通の路線の乗換案内をしないでください。

 荷物を預けた後は鉄オタタイム。とりあえず2号線を乗り通すために地下鉄を3路線ほど乗り継ぎ始発駅の較場口へ。景色の見えそうな席を陣取り、ひたすら乗り通します。始発駅は地下ですがいきなり地上に出てビル6階分の高さを走ってると思ったらいきなり地下に潜ったりかと思ったらはたまた高いところを走ったり掘割を走ったりと、まあ見てて飽きない路線です。終点の魚洞まではちょうど1時間くらいの道のりです。この魚洞は3号線の始発駅にもなっており、今度は3号線で戻りつつ、途中の両路口で下車。鉄オタごっこをします。

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オタクじゃないからこれが限界。

 とてもガスっていますがなかなか凄いです。8連のモノレールなんかは日本じゃ見れないですから圧巻ですよね。その後、自分の海外鉄への興味の原点とも言える場所へ…。

 

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 ここは、李子坝駅です。こちらビルの7階にモノレールが突っ込むなかなかアグレッシブな駅です。廃止になった姫路モノレール大将軍駅なんかを彷彿とさせる作りですが規模はこちらのほうが格段にデカイです。この光景は鉄オタに限らず一般ピープルにも人気なようでビル下の歩道は観光名所として整備され、観光バスで乗り付けるツアー客の大群も見受けられました。

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こんな説明までご丁寧に。ここが地球の歩き方に載る日も近い…?

 かれこれ30分位眺めた後駅の裏側へ。あんな高かったモノレールが駅の裏側に行くとこんな近くになります。そもそも駅のホームがこの高さにあるのでビルの下側がおかしいという話なんですけれども。事前に見当をつけておいた撮影地へ向かうも中国お得意の歩道工事で塞がれて撮れず、愚痴を言いながら隣の仏図関駅へ。駅の横にはモノレール建設を称える記念碑を見つけたのでいろいろ眺めていると手形と一緒にしっかりと日本人の名前もありました。

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轻轨建设者

 その後、やりたいことも終わってしまったので沿線の比較的発展している街謝家湾へ行こうと思ったのですが、電車を待っているとうまい具合に初期車が来たので終点まで乗車。初期車は他の大多数を占める技術協力の上で現地で造られた中期車や後期車と違い、日本の日立で造ったものをそのまま輸出しています。その為、特にこの編成は車内が大阪モノレールそっくり。特に注目したいのが、初期車のみ行き先が方向幕になっているのですが、この方向幕、これも大阪モノレールと同じ丸ゴシックで簡体字の駅名がデザインされています。美しいですね。

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津田英治が「ジャオチヤンコウ」とか喋ってそう

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豊中市あたりを走ってそう

 終点から本来の目的地・謝家湾へ折返し、遅めの昼食をということで飯屋を探します。が、気力がなくなったので駅直結のショッピングモールの中のDicos*2で飯を済まし、沿線の撮れそうなところを前面展望で探しがてら再び中心街の較場口へ。何気なく見つけた臨江門と黄花園の間で適当に日が落ちるくらいまで撮影し、本日の宿、成都へ向かう為北駅へ。

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基本的に走行中は消灯するらしい

 思ってた以上に早く駅に着いたので従来抑えていた列車より1本早いものへ乗車変更。駅の中の李先生*3で時間を潰した後、2時間ほどで成都東へ。成都東到着は22時近くなっていました。ホテルは成都東駅前なので即入庫、就寝。と行きたいところなのですが少し事件が起こります。このホテル、実は同じところを取っていたのですがチェックイン時刻が19時までというプランを予約していることに旅行出発直前に気づき、慌てて同じホテルのチェックイン時刻に縛りのないプランへ変更…したのはいいのですがその時の焦りからどうやら「ツイン」ではなく「ダブル」を取ってしまっていたようなのです。オタク2人で1つのベッドに寝なければいけないと知った我々は驚愕。ロビーで予約を変える、というのも言語が通じるならできるかもわかりませんが既に疲れておりふたりとも中国語は「没有」くらいしかわからない始末。結局そのままベッドインし夜を明かしましたとさ。うんち。

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中国の文明式構文のプロパガンダで一番すき

3日目 成都西安車中泊

 清々しい朝ですね。これからは寝台4連泊をするのでもうホテルでは眠れません。最後のホテルがこのザマで悲しいなぁ…。

 成都に来たのは一つ目的がありまして市郊鉄路である成灌鉄路に乗るということ。市郊鉄路というのは都市から郊外の衛星都市を結ぶ路線のことで、関東に例えるなら中央快速線だの小田急だの想像していただければ早いわけですが、中国国鉄は基本的に客車列車か高速鉄道しか基本的には運行していないのでこのような位置づけの路線を運営するにあたってはどちらかを選択しなければなりません。そのため、50kmという路線長ながらここを走る車両は高速鉄道仕様(それでも少しグレードダウンはされてる)のもので、路線の最高速度は220km/hで設計されています。田園都市線も新幹線走らせて最寄りから渋谷まで5分くらいで着いてくれねえかなぁ。日本でも経済成長の時代は通勤新幹線みたいな構想がありましたがまさしくそれが実現したら…みたいなのを具現化している乗りものではないでしょうか。

 東駅から成都地下鉄で成都駅(北駅)へ。成都から離堆公園まで15元、およそ30分の高速鉄道によるショートトリップ。本当にあっという間です。終点の離堆公園はフルスクリーンホームドア完備の地下駅でさながら地下鉄駅のようです。成都からはるばる30分(短い)かけて来てただ折り返すのは勿体無い。この離堆公園駅、その名の通り離堆公園があるのですがこの公園、ちゃっかり世界遺産だったりするんですね。というわけで観光です。

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これが近郊電車

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離堆公園駅。普通に地下鉄の駅っぽい

 離堆公園というのは愛称で性格には都江堰なんぞと呼ばれていますが、いわゆる灌漑施設です。詳しい説明はWikiなりなんなり読んでもらえばわかると思うので割愛しますが、紀元前から巨大な範囲を灌漑する水利施設を造っていたそうです。まあよく考えるわなぁという仕組みで中国3000年のの歴史は伊達じゃねえな、と思うわけですよ。

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ここで水利してたらしい。専門じゃないのでよくわかりませんが。

 3時間ほどしかなかったので巻きでいろいろ観光したら2時間ほどで駅に帰ってきてしまいました。ここでこの市郊鉄路の欠点を痛感するわけです。本数が少ないという。想像もしてみてください。あくまで都市内交通の延長線上にあるような路線で3時間も間が空くんですよ。それならせいぜい市街地まで50kmくらいですから高速バスなりなんなりで都心に向かいますよね。総じてこの路線の感想として完全にメリットを本数で殺してしまっているなぁという感想です。ただしこの市郊鉄路、他にも数多の数の路線が様々な都市にあり、中には成功している路線もあるようです。しかし大概の路線を見るに本数が貧です。地下鉄程度の本数を捌くのは線路の設備上無理ですけども地下鉄の半分くらいの本数は確保しないと近距離交通としては役目を果たしてるとは言えなさそうです。

 この路線の殆どは犀浦という駅止まりで成都まで行かないのでこの駅で地下鉄に乗り換えます。しかしこの駅は同一ホームで中心部へ向かう地下鉄と今まで乗ってきた高速鉄道が対面で乗り換えられる構造になっています。ハードの面では申し分ないので本当にソフトの面だけですね…、この路線の問題点は。

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犀浦駅。改札があるにせよ高速鉄道と地下鉄で対面乗り換えをすることが出来ます。

 さて、地下鉄で中心部へ行き成都ICカードを購入。その後に、事前に目星をつけておいた麺屋へ徒歩移動。なんというか今に始まったことではないですが四川の料理は本当に辛いですね。街中の店はどこに入っても料理に辛い「何か」が入っておりたいてい赤いです。辛いものが苦手な自分にとっては地獄です。(それでも完食はしましたが。)

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辛い。蕎麦粉の入った麺。

 さて、することがなくなってしまったので今夜の寝台列車の出る成都の駅に戻ろうと思ったのですが、途中で見かけた気になる駅へ行きます。その名も

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「一品天下」駅です。これをツイートしたら滅茶苦茶伸びたので笑いましたが。そういう名のついた美食街の玄関口らしいですね。ちなみに僕は天下一品に入ったことはありません。成都駅についてしまいましたが時間がある+買った成都ICカードの残額がめっちゃ残ってるということで連番オタクに荷物を託して短い録音しやすそうな路線の目星をつけて録音しにいきます。

 11号線という郊外の駅から空港までを結ぶ路線です。生憎都心を通らないので他の路線よりは乗客も少なく録音もしやすかったです。しかしこの都市の地下鉄は必ず列車に警備が一人乗り込み車内をうろちょろ巡回してるので視線を気にしながら録音するのが大変でした。四川だけに!w

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開業してるのは青いところだけ

 適当に戻ったらちょうどいい時間になりました。寝台列車も無事に乗れたので就寝!w

 

4日目 西安→石家庄(車中泊

 午前2時50分頃。車掌に叩き起こされます。中国の寝台は乗っている間は切符と引き換えに「臥铺票」なるカードみたいなのを渡されます。この臥铺票のデザインが客車を受け持つ局によって違うので面白いのですがそれはいいとして降りる際にも切符は必要ですから降車駅の30分ほど前に再び交換にやってきます。その降りる駅が深夜着であれば寝ていると叩き起こされるというわけです。さて更に話を戻します。午前2時50分です。昨日の成都発が19時前だったとはいえ早すぎる朝です。そして降ろされた駅は安康。今日の目的地である西安からは100km以上も離れています。気温氷点下の午前3時。これから今の日本じゃまずありえないような寝台同士を深夜に乗り継ぐ、というガイジムーブを行うわけです…が、自分ら以外にも同じムーブをする一般人民を数人見ることが出来ました。やはり人口が多いだけあって動き方も多種多様なのでしょうねぇ、そして寝台同士の乗り継ぎも案外一般的なのかもしれません。ちなみに改札前の待合室は午前3時の地方の小都市にもかかわらず100人ほど人がいました。列車も時間に3本くらいは発着しているようです。30分ほど座って待った後に西安行の列車が入線。再び寝台へ乗り込み4時間ほど爆睡。起きたら西安に到着していました。

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とっても寒い真夜中の安康

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西安の到着は低床ホーム。低床ホームも数を減らしつつあるので時期に貴重になるのかもしれません。

 西安は中国の中でも特に著名な観光地ではないでしょうか。元の名はかの古都・長安ですから歴史的な観光名所も点在しています。駅前の手荷物預かり所に荷物を預けたのですが、なんと!!!英語が通じる!!!!!感動のあまり涙を流しながら駅前のバスターミナルから兵馬俑へ向かうバスに乗り込みます。しかしこのバス、いつもの中国のバスと違い運賃均一前払いではないようなので困惑しているとバスに乗っていた車掌が「日本人ですか?兵馬俑まで7元です。」と日本語で(しかもそこそこキレイな)話しかけてくるではありませんか!!!!!というわけで7元を払い兵馬俑へ。教科書でおなじみの人形が並んでいるところです。思ってた以上に郊外にあり、1時間ほどかけてようやく到着。事前情報によると日中はかなり混むとのことでほぼ開園凸のような時間に到着。確かに人もまばらでゆっくりと観光できます。観光します。

 さて観光した感想ですが、思ってた以上に凄くないです。教科書で見たような人形がズラッと並んでいるのは一つの建物のうちの1/3くらいで後は発掘中らしく、人形の列がイメージと違うという感想です。まあそれでも中々の感慨深さみたいなのはありますけれども。つづいて抱き合わせになっている始皇帝御陵へ。

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こう見るといっぱいいそうだけど

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こう見ると案外凄くない(というか現在進行形で発掘中)

 丘でした。丘以外何もありません。空気はいいのですがなにもありません。さっさと戻り、市街地へ。行きとは違うバスで地下鉄の終点になっている紡織城へ。ここから地下鉄を乗り継いで事前に目星をつけておいた陜西名物ビャンビャン麺の店で昼飯。その後、もはやお約束となった現地のICカードを購入。地下鉄を乗り継ぎ大雁塔へ。塔にも登ろうか迷いましたが工事中ということで中に入れず断念。代替の観光案を探してたところ、西安旧市街を囲む城壁の上を歩けるということなのでちょうど半周歩いてから駅に戻ることに。ヨーロッパの各都市では城壁が一部残っててそこを歩ける、みたいなのはそこそこあったりするんですがここ西安のものは1周すると20kmですれ違うので精一杯なヨーロッパの城壁とも違い、道幅もかなり広く城壁専用の電動自転車まで貸している始末。なかなか快適に歩けました。

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西安地下鉄はフクチカのように駅ごとにマークが設定されておりこれを眺めてるだけでも面白い。

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こんなような城壁を10km弱徒歩。夜なんかは特にキレイ。

 駅前の李先生で夕食を取り(どうでもいいけど店内放送でATOSのチャイムが流れていた。意味不明。)荷物を回収し、北京行の寝台車へログイン。しかし北京発着の便は人気なようでどの列車も凄い人です。

 

5日目 石家荘→青島(車中泊

 朝の7時頃、途中駅の石家荘で下車。石家荘、おそらく馴染みのない都市でしょう。自分も中国に興味が出るまでは全く知りませんでしたから。そして観光地と言える観光地も全くありません地球の歩き方はには一応載っていますが(どこの必ず省都は載っており、ここ石家庄も省都)、1ページという申し訳程度にしか市内の名所が紹介されていないという状況。ではなぜこんなところで降りるのかというと、かねて中高の頃は日本国内の乗りつぶしを目標に色々なところに飛び回ってましたので、やはり旅行ないし遠征には「目標」のようなものがないと自分はどうしても楽しめないタイプの人間です。かといって人民鉄路乗りつぶしとかはどう考えても無理なのでとりあえず当分の目標として中国国内の全都市の地下鉄に1回は乗る、ことと全省(または自治区直轄市)を訪れることを当分の目標としてやっております。そしてこの石家荘は河北省の省都にして地下鉄が存在するわけです。理由はそれだけです。

 駅前。空気が汚いのは中国なのでしょうがないのですがここは明らかに汚い。この日のpm2.5の数値は北京よりもかなり高く、中国人でも基本的には外出を控えるというレベルの数値を指し示していました。連れがどうやらかなり空気に敏感らしく、外に居るのが辛そうなのでとりあえず駅前の李先生(3回目)に避難。なにもない都市で刷ることを全く決めていなかったので中国特有の朝粥と饅頭を食べながら計画を練ります。その結果、地下鉄とバスを乗り継ぎ郊外の正定という町で観光することに。地下鉄に乗った時点で「石家荘」のノルマは達成していますから、夜の寝台車までこの街にいる必要性はなくなります。

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石家荘駅。(中国語表記で石家庄)いつになく空気が霞んでいる。

 さて、たった4駅しかない2号線を録音しつつ乗り通し、市二中と石家庄北站でバスを乗り継ぎ正定に到着。多くの古寺を抱える正定は古くからこの河北一帯の中心として栄た町で、三国志でも有名な趙雲の生まれた町でもあるそうです。(その辺には全く明るくないのでどんな人かは知らん)しかし、1900年頃に石家荘では鉄道が開通し、2路線の幹線が交差することから交通の要所として急発展した結果、現在350万人を抱える省都にまで発展し、河北の中心都市を正定から奪い去りましたとさ。そりゃ街も新しいうえに深圳みたいな特徴のある産業もないので本に載るような観光名所なんぞあるわけはありませんね。市内の寺を歩いて色々回ります。当たり前のことですが改めて思うに中国も日本と同じ仏教国なんだなぁと改めて感じました。ただ、興味深い菩薩像などもありましたが、まあ日本の著名な古寺なんかを見てしまうと「こんなもんか」という感想を抱きます。ただ町中の寺に必ず五重塔みたいなのがそこらに立っているのは面白かったです。そしてこういう宗教施設でも必ず共産党スローガンがあるのも中国らしくていいですね。

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お寺。日本にもありそう。

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町の中にはこんな塔がわんさか

 観光し終わったところでまだ16時。列車は21時頃の出発ですが、このまま近くにある正定駅から直接駅に行くと非常に時間が余るので、一度バスで市内の中心部に戻り、申し訳程度に石家庄の中心部を訪れます。また折角なので河北の名物であるドンキーバーガー、即ち驢馬肉バーガーを食べます。適当に見繕った店は1人あたり700円と中国の地方ではそこそこお高めのレストランでしたが高い値段を払えばいいサービスが受けられるという法則はどこも同じようで滅茶苦茶美味しかったです。また、例のごとく言葉の壁にぶち当たりましたがこの店はかなり丁寧におすすめの料理やビールの紹介をしてくれました。

 QOLをあげたまま駅に戻り3時間適当に暇を潰して終了。ちなみにこの夜は今まで乗っていた硬臥という寝台とは違い少しランクが高めの軟臥に乗ります。何が違うのかと言えば3段ベットが2段ベットになっている、だとか寝台の扉が閉まる、とか洋式便所がある(これは地味に重要)、とかまあ色々あるのですが、いちばん重要なのはコンセントがベッド際にあることです。これまで寝台に連泊しているわけですが基本的にコンセントが使えない硬臥ではモバブが充電できません。そして手持ちのモバブの残量が2割を切っており、充電は死活問題です。というわけで貧乏旅ですが、ここで1日軟臥を意図的に入れたというわけです。距離によりますがせいぜい1500円位しか違わないのでホテル代と思えば安いもんです。そりでは人権のある寝台で爆睡をします。

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石段の臥铺票。デザインが古臭い。

 

6日目 青島→天津(車中泊

 朝です。青島といえばみなさん何を想像しますか。そうですね、ビールです。青島ビールはそこそこ有名なビールブランドで日本で見かけることも多いと思いますが、ここ青島はまさにそのビールの本社工場のある街です。歴史的には第一次世界大戦前までドイツ領だったこともありビールが有名なのも納得してしまいます。で、何をしに着たのかと聞かれればビールを飲みに来ました。地下鉄もあります。

 到着した青島北から地下鉄で青島站へ移動。すぐ近くにはこんな風景がありますが

 

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こちら青島のシンボルで青島ビールのロゴにも採用されている桟橋の楼台です。啤酒大好き人間としてはおなじみの光景にひっくり返りました。見たことねえぞというそこのあなたは今すぐ近所の酒屋で青島啤酒を買ってきてください。そのまま歩いてドイツ建築と見晴らしのいい公園を行脚。赤屋根が多いのでドイツと騙せなくもないかもしれませんがドイツはこんなに空気は汚くありませんね。

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ドイツは環境先進国ですから

 だいぶ端折りましたが、昼時を過ぎていたのでビール本社工場付近の青島啤酒街へ移動。ここで昼とします。観光地なので価格帯はかなり高めですが折角来たのだから美味しい料理と一緒にビールを頂きたい!ということで昼からビールです。そのビールなのですが、青島市近辺では工場間近ということもありまして生ビールが飲める飲食店が点在しています。(他の地域じゃ青島ビールの生は飲めません。)そして勿論我々が入った店でもこの生ビールをいただけるというわけです。これの無濾過の生がですね、めちゃくちゃおいしいんですよ。水っぽいグビグビ行ける感じの普通の青島ビールを片鱗も感じさせない非常に濃厚なビール。過去に飲んだビールの中で一番美味しいと胸を張って言える代物でした。もう我々はこれだけで有頂天に、1人1ピッチャーくらい飲み酒に弱い自分はだいぶヤバかったですがそこまで進んでしまうかなり美味すぎて”ヤバイ”ビールでした。結局料理を合わせて1人2000円近く払いましたが、ここまで旨い酒を飲めたので問題没有。

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俺が生まれてきた理由。それはお前に出会うため。

 少し落ち着かせた後は隣のビール博物館へ。「博物館」を名乗っていますが、展示の他に工場見学もセットになっております。その中でも興味深かったのは歴史展示です。特に年代ごとの展示で1949年(中華人民共和国成立)から1992年(市場経済制導入)がすっぽり抜けいたのが衝撃でした。あっ、ふーん…(察し)。さらにこの工場の恐ろしいところは工場見学の途中でビールを1杯無料で飲ませるコーナーが出現し、終わった後にも1杯無料で振る舞われるコーナーが存在するという神仕様。既に酔っ払っていた自分にはオァという仕打ちです。美味しいから大丈夫だよ。海外であれするのは色々とやばいので注意しましょうね。(自分は結局してませんが)

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普通に工場見学っぽくて好き。

 見学が終わり、バスと地下鉄を乗り継いで駅へ戻ります。しかしこの街は交通が特に貧弱で、バスは今まで訪れた中国の都市の中でも異様な混雑を呈していました。連番オタクはバスに降りるのに失敗し次のバス停まで運ばれていきました。おもしろい。(おもしろくない)青島北駅に戻り適当に時間を潰して終了。しかしこの駅は高速鉄道のターミナルになっているにもかかわらず駅構内が狭く、現金で飲料を買えるところが一つもないという非常に外国人に厳しめな駅でした。ちなみにこの街にも交通系ICカードがあったのですが、券売機がどこもかしこもQR決済のみの対応で買えず仕舞い。次からは支付宝にチャージをしていくことにします。この日の寝台は青島北発で前回の旅行で訪れた中朝国境の町、図們まで向かう列車です。酔っていたので中々寝付けず日付が変わる頃にようやく寝ることが出来ました。

 

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そのまま北朝鮮までいってくれ

7日目 天津→自宅

 最終日の朝です。4時過ぎに叩き起こされ天津の駅で乗り継ぐ列車を待ちます。当初の予定でしたら北京まで行き折り返すという行程を組んでいたのですが、先述のように北京行きの寝台が埋まっていたのでこのような行程になっています。と言っても日本時間では5時ですからそこまで苦でもないのも事実です。辛いものを幾度となく食べながらここまでなんとか首をつないできた体内ダムもついにここで決壊し、トイレと待合室のベンチを10往復しながら6時半ごろの于家堡行を待ちます。于家堡は天津市の浜海地区にあり、これから乗る高速鉄道では15分ほどの距離にありますが、すぐ隣には天津市内から高速鉄道の線路に並行するように地下鉄も走っています。15分という短い間もひたすらトイレに篭り、于家堡の駅でもトイレに篭ること30分ほど。ようやく人並みの生活を遅れるようになりました。ここからはバスと徒歩で学院区北停留所へ移動します。

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天津は北京から100kmほどの位置なので北京行の本数はかなり多いです。

 ここからはトランスロールというものに乗ります。端的に言えばただの路面電車ですが、明らかに違うのが2本のレールの上を走る普通の鉄道と違いレールが1本しかないということです。中国語では路面電車のことを「有轨电车(有軌電車)」と表現しますが、こちらは「导轨电车(導軌電車)」という表現がなされていました。一応区別されているのですかね、英語ではTramでしたが。フランスの会社が開発したものでスペインに旅行に行ったときは数都市で見たことがありますが、乗るのは初めてです。まあなんというか速度が出ないうえ思いっきり上下に揺れるので非常に乗り心地が悪いです。単純にレールの長さが半分になるので維持費は抑えることができるでしょうが、普通の路面電車のメリットを殺しすぎてる気がします。他都市で見ないのも納得ですね。

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レールが1本、すぐ脱線しそう(こなみ)

 このトランスロールの終点、泰達は先述の高速鉄道と並行する地下鉄、津浜軽軌線と接続しています。このまま天津市内に戻るのも早いので、市街地方面とは逆方向に乗車し、とあるところへ向かうため、会展中心で下車。更に2km程をあるきとあるところを目指します。

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 こちらが、目的地です。一見ただの公園ですが何を隠そうこの公園は3年前の天津大爆発の爆心地なのです。近傍には学校や高層マンションが元からあり、それらはきちんと建物が元通りになっていますが、ここは有害物質が漏れ出した等の事情によりそのまま復旧を諦めて公園にしてしまったそうです。ちなみにこの付近のマンションはほとんど人が住んでいないようで、一種のゴーストタウンと化していました。それは会展中心の駅前にあるイオンも同じで、平日の昼間とは言え恐ろしいほど人がおらず、止まっているエスカレーターも多く見られました。ただ、何を血迷ったのか中国最後の昼食をこの中の「すき家」で済ますことに。折角なので日本のすき家では絶対提供されないラーメンを30元(中国では高めだけど天津の物価考えるとこんなもん?)払って食べてみました。まあなんというか学食のラーメンの味がしましたね。

 だいぶ時間が余ったので、会展中心の一駅先の東海路まで行き一度折り返すことに。折角なのでここで天津の交通系ICを購入。例のごとく紙に「我要交通卡。」と書いて窓口に提示したら「デポジットは18元で最小チャージ単位は30元で北京天津河北の三地鉄で使えて払い戻しは客服中心でやっている…」うんぬんみたいなことをわざわざペンで提示したメモ帳に筆談をしてくれました。なかなか枝葉末節のインフォメーションまで筆談してくれるという服務水準の高さに感動していたら窓口の棚に帰りの飛行機で食べる為にイオンで買ったお菓子の袋を忘れました。津浜軽軌を終点まで乗り通し空港へ。空港では早く着いたことと珍しい日本人の乗客だったこともあり、添乗員に非常口座席への座席指定をお願いされました。普通はLCCって+2000円くらいで事前に非常口座席を売っていますが、向こうからのお願いなので勿論追加料金は発生せず。帰りは4時間ほどの飛行でしたが、普通のレガシーのエコノミーよりも全然快適な座席で成田に着弾するのでした。21時過ぎに空港についたあとは、最終の本線特急を捕まえ(これを逃すと快速で津田沼まで全部停まるようになる)無事に帰宅。おわり。

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最後に空港の駅でそれっぽい写真を撮って退散。

 以上です。次回の出国は2月、行き先はもちろん中国を予定しています。そろそろ忙しくなる時期でしょうが、解禁前にせめて1回はいっときたいですよね?おわります。それでは皆さん良いお年を。

*1:重慶市の人口は3000万強であるが中国の「市」は省と並ぶ行政区画であり、面積はおよそ北海道ほど。いくらなんでも北海道の面積を一つの都市圏として扱うのはナンセンスがすぎるでしょ…

*2:中国のファストフード。ハンバーガーとか当たり障りの無いものしかない。

*3:これも中国特有のファストフード。Dicosと違い麺料理や朝粥など中国っぽいメニューが豊富。

この記事は、90日以上更新していないブログに投稿しています。

 お久しぶりです。約半年ぶりの更新になります。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。最近はTwitterの方も浮上回数が少なくなってきたので自分語りの機会がますます減っていますね。近況報告ということで前回の更新からの遠出をまとめて記しておきます。

 

1.香港(3月末)

 香港です。3月の末ぐらいに家族で行きました。と言っても向こうでは1日家族で行動しただけであとはてんでバラバラ。残りの2日のうちとりあえず1日は香港島内の録音や乗りつぶしに費やしました。個人的には屯門というところの軽鉄(LRTのことですね)が気に入りました。路線図をみていただければわかりますがせいぜい地下鉄で4駅くらいしか離れていない距離に網目のように路線網が張り巡らされているのは圧巻です。専用軌道の高架区間もあります。

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↑この先にデルタ線みたなのがある。ちなみにこの区間は高架。

 そしてもう1日は香港から中国本土の広州まで向かう直通列車に乗ったりました。香港は紛れもなく中国ですがパスポートコントロールがあるので国際列車の雰囲気を味わえます。この当時は高速鉄道も開業していなかったのでかなり混んでいました。ヨーロッパと違い電車に乗る前に入出境があるので空港のようでした。広州ではせいぜい300円弱の一日券で地下鉄を適当に乗り回してそのまま香港へまた戻りました。

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↑スイス製の機関車が日本製の2階建て客車を引っ張ります

 このとき、中国は初訪問でした。香港はなにも不安要素はないので、以下は本土へ対する印象ですが漠然と金盾ってこわいなー、公安とかいっぱいいるのかなーというイメージしか持っていませんでしたが、行ってみると全然怖い国ではなかったなぁという印象です。社会主義的核心価値観などでも有名な所々にあるプロパガンダは異質でしたがそれ以外は同じアジア人ですしマナーはともかく治安も欧州と比較してもかなりいいので好印象でした。因みにもう一度言っておきますが、このときが中国初訪問でした。

 

2.川西巡検(5月半ば)

 ある日大学の授業中に暇すぎていろんなバス会社の路線図を見ていました。あれ、会社によって描画の方法が様々で非常に面白いんですね。まあそれはさておき阪急バスの頁を見ていたんですけどもこれ。

www.hankyubus.co.jp

綺麗ですよね。おまけによく見ると快速、準急、急行、特急やらがどうもあるようなのです。福岡に行けば確かに珍しいことではないんですが、一つの路線にこれだけの種別が存在しているのはやはりここだけじゃないでしょうか。まあそれで色々大学の図書館で沿線の市史やら阪急バスの社史など読み漁って川西から猪名川にかけてのニュータウンを視察がてら多数の種別が入り乱れる実際の朝ラッシュ輸送を見に行ってみようとなったわけですね。

 折角西へ行くならということで阪和線や大阪メトロの前駅下車とセットで行ってきましたというお話。しかし駅からバスで1時間とだいぶ離れたところまでニュータウンが広がってるのは圧巻でしたがそもそも川西能勢口の駅が梅田から20分位であることを考えるとアリな選択肢なのかも知れませんね。東京の厚木だ東松山だなんだみたいな住宅地よりはよっぽど都心に近いようです。東京にいると感覚が麻痺しますね。

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↑特急。清和台地区から川西能勢口までノンストップ。

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↑駅からバスで30分のとこに建てる建物じゃねえよなぁ(猪名川PT)

 

3.台湾(8月上旬)

 私は法学部に所属しているのですが、講義のひとつに航空法という授業があります。これは主に国際運輸契約について学ぶわけですが、飛行機があまり好きでない(むしろ苦手)な自分でも毎週こういう話を聞いていれば飛行機乗りてぇなぁ…ってお気持ちになるわけです。それでまあ適当に航空券を見ていたら台湾に2014年以降行ってないことに気づくわけです。あ~なら行くかぁという感じで授業中にその2週間後くらいの家虎航空のピンチケを適当に掴んで台湾へ行くことになりました。

 2014年は弾丸でしたので台北とその近郊(せいぜい九份)にしかいっておりません。せっかくなので乗りつぶしをするかぁということで1週間くらいかけて台湾を台風でところどころ止まってる阿里山森林鉄路以外を乗りつぶしてきました。脱線事故がありあまり台鉄に対する印象が良くないなぁというのがTLを眺めての自分の感想ですが、弁当屋が本業と揶揄されるように弁当は旨くて安いです。運賃も安いですし学生なら台湾版18きっぷが2000円ちょいで5日間乗り放題です。1日で2000円ではなく5日で2000円です。宿も安いですが、ケチなので容赦なく向こうでも半分は台北の同じネットカフェに宿泊。(むしろここくらいしかない)全くわからん中国語を筆談で躱しながら12時間600円の人権を確保しましたが、そんなことやってるうちに最後の方は店員に顔を覚えられました。もちろん日本の様に飲みものも飲み放題ですが、本場のミルクティーの飲み放題は嬉しいですね。飲みすぎて腹を下しましたが。

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↑EMU500系、すなわち病院の待合室号。これに半日近く揺られて圧倒的成長。

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↑今はなき高雄地上ホームと先が短い手動式扉の莒光号

 まあそんなこんなで台鉄の放送を區間車(鈍行)で全線録音しつつ捷運(地下鉄)も録音したわけですが、最終日。なんと帰りの飛行機の運休が決まり帰れなくなっていましました。振替便も3日後まで埋まっていたので払い戻しからの翌日の朝の便を新規購入でなんとか耐えしのぎました。

 

4.熊野花火(8月中旬)

 夏だ。花火だ。花火といえば?そう、臨時列車ですね。というわけでお盆の期間に熊野まで花火を見に行きました。(大嘘)熊野花火臨の特徴といえば夜汽車が走ることです。お目当てはキハ75の夜行快速名古屋行。これ乗りてえし録音してぇなぁって4年位前から思ってたんですが、今年は毎年この時期に入っていた外せないバイトの用事が10月にずれたのでいけるやん!となった上いろんな下車のオタクが来るというので今年こそというわけで行ってまいりました。

 まあ前哨戦で名古屋入りは2日前くらいにしたんですがオタクのご厚意で家に泊めてもらったりドライブに連れてもらったりしました。本チャンの熊野もまあそれは楽しかったです。花火も普通に綺麗ですし、和歌山側からきていたオタクもたまたま居たので出会い厨をしたり。尾鷲行を1本録音してから戻ってきたので電車待ちの列は限界でしたが、ガバガバ整列のせいでボックスを確保。適当にだべりながらオタクと酒を入れながら爆睡すると名古屋についていました。名古屋からはオタクと散り散りになり自分は松本方向へ。駅放送を真剣に集めて、お盆の限界混雑ネカフェで就寝。その足で次の5へそのまま家へ帰らずに流れるのですが、趣旨が違うのでこのへんで項目を分断。

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↑へんな列車しかねえが…

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↑せまっくるしい

 

5.某大鉄研団臨(8月下旬)

 私は都の西北ではありません。よくここと比較されるような大学に通っているのですが、その某西北にある大学のオタクから団臨をするから来ないか?と誘われまして。確かにその団体には知り合いは多いのですが全くの部外者だった自分。まあそれでもそんな言葉に甘んじてうちの大学の鉄研からの3人を連れてその団臨に参加させていただきました。

 松本から大洗へ。大洗で同じ鉄研の輩と迎合し、船で北へ向かいます。久しぶりの船だったので念を推して酒を買い込みすぎて無事死亡。寝てたら苫小牧でした。苫小牧からはバスで札幌へ移動してそいつと別れ、別のオタクたちと迎合。そこでそいつらとミリオンのBDを見ながら暴れてオォっつって就寝。そんな前哨戦です。

 ほいで団臨。少しツイの方でも話題になっていましたが、その内訳はというと、2つつないだキハ40でしたが1日目は南千歳発で新十津川へ侵入。2日目は旧苗穂から乗車し東室蘭から戻り登別へ、という行程。なかなかに新鮮な体験でした。本当に某オタクや団体には感謝してもしきれないですね。

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↑二連で新十津川

 

 

6.合宿(9月上旬)

 で、その1週間後。今度はうちの大学の鉄研の合宿です。これといって凄いことはないのですが、ま岩泉の寝台客車をそのまま使った宿に泊まろうという企画です。行きは日本海側をまわり各々でワンマン放送を回収しながら岩泉へ。帰りはそのまま東北線。というまあ東北をぐるっと廻る感じのルートですかね。まあこちらは特に特筆することはありませんが、八戸線の新車の自動放送がとれたのは良かったですね。

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↑旧田名部駅の駅前通りには年季の入った百貨店とバスターミナルが並ぶ

 

7.中国大陸をご移動(9月中旬)

 また中国ですか。はいそうです。鉄研のオタク3人と中国大陸へいきました。これで中国2回目ですね!(台湾は台湾省ではない)この旅行自体は5月頃から企画されていたのですが、いろいろオタクの行きたい!って所を寄せ集めたらたまたまこういう結果になったというのが正しいんでしょうか。

 中国の地理に疎い人はここから先は地図帳なりGooglemapなりを開いて読んでもらえるとありがたいのですが、当初の予定としては成田→(飛行機)→香港→広州→海口→ハルビン→延吉→長春→綏芬河(国境超え)ウラジオストク→(飛行機)→成田という行程できっぷを予約していました。しかし、出発前日、突然代理店から「海口→ハルビンの列車は運休やで~」という連絡が来ました。この列車、途中で鉄道連絡船に客車をまるごと載せて航行するので乗りてぇという話をオタクとしてたのですが、どうやらそれが仇となったようで台風接近で船が動かないんので運休!ということらしいのです。突然の連絡に呆然とするオタクたち。でもそこで諦めないのがオタク、ガバガバリサーチで旅行前日に香港→深セン昆明ハルビン→…というルートへ変更することに。ちなみに昆明は当初の経由地海口からは約1000キロくらい離れています。更にあとからわかったのですが昆明からハルビンへ向かう列車、約68時間弱走る中国国内でも3番目に所要時間が長い列車だというのです。まあそんなこんなで旅行を開始。

 香港、深センなんかはまあそりゃもう栄えている大都会です。そこから昆明まで8時間、ぶっ通しでE2もどきに揺られます。昆明の滞在時間は5時間ほど。完全にその長距離寝台に乗るためだけに1200kmほど移動したというわけですね。昆明からは3泊4日の長旅です。約1年ぶりの寝台にワクワクしたのは最初だけ。寝具も悪くないですが同じ寝台に3泊というのは長いです。食堂車や車内販売もあるので面白いのですがやはり3泊は長いです。というのも枕崎から稚内まで行ってさらにそこから東京まで戻ってくる位の距離をせいぜい出て120kmくらいでひたすら走り続けるのですから。それでも食堂のおばちゃんや同室になった現地民とGoogle翻訳くん迫真のコミュニケーションで談笑したりいろいろしてたら3泊なんていうのは…やっぱ長いですね。やっぱ寝台はサンライズくらいの長さがちょうどいいんですかね。せいぜい2泊でしょう。ちなみに中国の普通の寝台列車にはシャワーは付いていないので…つまりそういうことです。

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↑かっこいいよね、このサボ

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↑びっくりするくらい美味い。

 ハルビンから延吉へ。延吉は中国ですが朝鮮族の街なので街中にはハングルがいっぱい。地理的や政治的条件から”南”より”北”との結び付きが強いです。昼は🐶の肉を食べてみました。意外と美味しい。そして自分たちが泊まったのは”北”の運営するホテル。ショー(撮影禁止)や美味しい朝鮮料理を頂くことが出来ました。平壌冷麺と大同江ビールはマジでうまいです。あれはマジです。そして延吉から更に近づいて、中朝国境へ行きました。写真の奥は北朝鮮です。ちなみにちょっと足を踏み入れましたがお咎め無しです。座ってる警備のおっちゃんは笑顔で国境を余裕で踏み越えている記念写真を取ってくれました。

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↑見た感じは普通の肉料理。

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↑オタクは大同江ビールを飲め。ショーが微妙に写り込んでるな❓

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↑向こうは北朝鮮。怪しい建物はハリボテじゃないですかね。

 さらに中国だけにはとどまらず鉄道で国境を超えてロシアへ。もちろんこんな所を超える日本人なんて我々の他に…いました。びっくりですね。おまけに辺境警察が流暢な日本語で日本への高校時代の留学の思い出話をしてきました。なんだこの国。いい人多すぎだろ。

 ロシアへ抜けて、怪しい白タク…というか乗り合いタクシーと電車を乗り継ぎウラジオストクへ。小さな町ですが東京から1時間半で着けるというのはすごいですね。ただ日本から近いヨーロッパなんぞ言われますが、確実にヨーロッパの街ではないです。ロシアの街って感じでしたね。

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↑ヨーロッパとはちょっとずれてるかな。

 

 

 はい。こんなことろでしょうか。旅行以外にはどうなんでしょうねぇ。3年にもなってこんな遊んでていいのかと言うのが不安なところです。強いていうなら、というか全然関係ないですが最近さらにあいますぺーがこじれてきているのでライブやリリイベ行ったり、さっきも言いましたがオタクとBDみて叫んだり、諏訪ちゃんの握手会に行ったりとかそんなところでしょうか。あ、ちなみになんですけどまた再来週から✨中国に行きます。はい。またあの中国です。6日間くらいで重慶西安、石家荘、青島といった街を見て回ります。今年は初中国にして3回(台湾を台湾省とするなれば4回)も行っていますね。来年ももちろん、行く予定が既にあるんですね。では、次回。↑の旅行記をかければいいかなぁと思いますが、どうでしょうね。まあ旅行中はツイッタにいっぱい浮上するのでそちらも合わせてみていだければな、と思います。それでは。

近況報告

 皆さんお久しぶりです。最終更新日からはや半年以上過ぎ去ろうとしている今、もはやこんなブログはないも同然ですね。それでもこの記事を読んでる人がいるなら嬉しい限りです。

 それで、半年前の最終更新になっているヨーロッパの記事から今までどこも行ってないのか、と言ったらもちろんそんなことはないわけです。実は最終更新の記事の後幾度か更新を試みたことがあるものの、途中で飽きて放置した記事が5つほど下書きに溜まっております。遠出する→更新しよう→途中で飽きる→放置→次の遠出…の無限ループでいつのまにか4つも溜まっていました。その為、この悪循環から抜け出すために思いついたのが、このように1つの遠征の内容を凝縮して近況報告というかたちでまるごと上げてしまおうというものです。それでは適当にまとめていきます。ちなみに最終更新のヨーロッパは全行程の1割も書き終えてませんがいつか全編書き終えたいとは思っています。(書くとは言ってない)

 

① ムーンライトこうのとり

 自身のTwitterを見てる人なら知ってる人は多いかも知れませんが題名の通りこういうことがありました。2017年10月21-24日で西日本方面へ行ってまいりました。というのもJR西日本発足30周年で1日特急乗り放題の切符が発売されていたのが記憶に新しい方も多いでことしょう。サークルの同期が間違えてこれを間違えて2枚取ってしまったのことなのでそれを定価で引き取ってこの券を使うついでに京阪の全駅下車を終わらせようということで計画したものです。

 しかし、肝心の切符の使用日は台風が接近しており、前日には既にその日の午後以降の多くの列車の運休が告知されていました。払い戻して大阪の地下に篭ることも考えてはいたのですが、折角の機会ということでこの切符を使用することに。

 午前はとりあえずひかりの博多行き(といっても通過駅4駅くらいしかないので実質こだま)に乗り新大阪から博多まで取材。博多でとんぼ返りをして新大阪までのぞみで移動。大阪からは台風の影響で行き先変更がされた定期列車で見れないはまかぜ豊岡行を取材。豊岡からはこの日の最後の運転(といっても豊岡16時位)となる新大阪行のこうのとりに乗り込みます。ここまでは計画通りに進み順調でした。

 しかし、福知山からは速度規制に引っかかり最終的には丹波大山の手前で倒木の為完全に止まってしまいました。この倒木、車両の寸前でおこっていたので復旧までに相当時間がかかり、結局倒木の撤去が終わったのは7時間後。とっくに日は暮れ日付も変わろうという時間になっていました。そしてこの時間、台風は最接近しており到底電車を運転できるような状況ではないということで、最寄りの丹波大山まで電車動かした後に台風をやり過ごすことに。車内はなかなか落ち着いてはいましたが、職員各位がかなりパニックになっていたようで、放送もなかなか表現を手探りで入れているという感じでした。特別放送が録れましたが、正直僕もそれどころじゃなかったですね。

 

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↑ガラガラのムーンライトこうのとり号。それなりに寝れました。おまけにご飯もついてきます。

 

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丹波大山とかいうローカル駅に停まる2本の特急列車。あ、でもムーンライトは快速でしたね

 

 結局翌日の8時頃、朝食が運搬されてすぐのタイミングで代行バスが到着し、それに乗り換えることに。「ムーンライトこうのとり」は豊岡を出て16時間で無人駅で呆気ない終焉を迎えましたがどうにか丹波の山奥から脱出する方法が見つかったので一安心です。

 代行バスは宝塚までの運転だったので宝塚からは阪急と地下鉄を乗り継ぎ京阪大津線へ。京阪本線系統の全駅下車は以前に終わっているので、大津線の全駅下車を敢行して京阪の全駅下車を企図。大津に付いた時刻は既に12時頃になっていましたが、駅数の少なさと本数の多さ(日中に毎時8本はすもはやトラムの域)に助けられ日が暮れる前に京阪電車の全駅下車を完遂。坂本発の神宮前行と四宮行を回収して京都から夜行バスで帰りましたとさ。

 

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↑一応駅名改称前の葬式要素もありました。

 

② 民泊浦宿駅

 去年の暮、三浦七緒子の音声を整理していたところ、東北の区間で全然自分が三浦声の自動放送を録れていないなと痛感しました。なら仙台近辺に1泊して録れてない区間の放送を回収しようということで年末に急遽仙台方面へ。もちろん貧乏性の自分は18きっぷです。

 東北線を乗り継ぎます。特筆すべきはこの2ヶ月ほど前にダイヤ改正白河の関の運行系統が変わったことでしょう。朝夕のみは531ですが日中と夜はキハ110の2連ということで、とりあえず双方の車での自動放送をこの区間を何往復かして回収。キハ110の車内は地獄でした。その後、新白河~福島までは一切自動放送を持っていないので接続電がE721で有ることを期待したのですが停車していたのは701。1時間待つことも考えましたが、この区間の分断後の運用はネットをいくら探しても出てこず、賭け要素が強すぎるということで断念。まあここはいつでも取材のチャンスが有るでしょう。

 郡山からは無事721に乗車し福島まで収録。福島からはそのまま快速になりますがこの区間は快速で持っているので座って仙台へ。仙台からは19時頃の女川行まで暇になったので仙石線多賀城行きを収録。ついでに塩竈多賀城界隈の駅を下車します。それでも時間が余ったので利府支線の701ワンマンと三浦声の利府線を収録。ちょうど時間になったので仙台駅へ。

 仙台からは1日1本の女川行で女川を目指します。といってもこの列車は時間が絶妙に嫌らしく、女川から戻る電車がなく女川に泊まるしかないのです。しかし女川の唯一とも言えるホテルのチェックイン門限は楽天トラベルを見ると22時となっており、断念。女川から石巻まで徒歩で移動して石巻のネカフェに泊まることを決意します。

 22時の女川は暗いです。しかし何故か駅前で思いっきりオタク棒を振っている人がいたのが印象的でした。そして国道を歩いて石巻を目指します。途中のコンビニから出てきた外国人2人組と浦宿の集落まで一緒でこんな時間でも人の往来がそれなりにあったことに驚かされます。とりあえず女川から1駅目、浦宿に着いたので待合室で少し休憩。その後、再び石巻を目指そうとしましたが駅から少し行ったところで叢から物音がこちらへ向かって来るのを感じました。何かしらの小動物であると言うことを察知した自分は全速力で浦宿の待合室に引き返し籠もることに。都会育ちの人間なので非常に小動物とか虫には弱いんです。結局進むのを断念してこの待合室で夜を明かすことに。ただ駅前に24時間営業のコンビニがあったのが救われました。また地元のFM局にツイートを拾われていろいろ心配をおかけすることになりました。今度はしっかり観光だけをしにこの街に訪れそして止まりたいと思います。

 

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↑ここをキャンプ地云々。あかりはずっとついているようで施錠もされませんでした。ありがたや。

 

 次の日は仙台に戻り、仙石線の小取材です。小鶴行とか仙台市内の駅下車です。これでなんとか高城町までは全駅下車したことになりました。その後、時間が余ったので開業後のれてなかった東西線と放送が変わった南北線もセットで乗車。南北線では寝ていたら富沢で引き込み線まで連れて行かれてました。

 

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↑特徴的な苦竹に掲示されている構内案内。イヒヒヒ苦竹だよ。

 

 長町から常磐線経由で自宅に帰ろうとJRの駅に戻ると常磐線どころか東北線すら止まっています。どうやら福島から仙台間のみ止まっているらしく、すぐ再開するだろうと何時間か粘ったものの一向に動く気配がないのでしぶしぶ課金して高速バスで郡山を目指します。郡山からはまた東北線に復帰しようと思ったものの、郡山では次の新白河までの電車が運休になっており、次は21時(2時間待ち)の矢吹行。新白河の手前までしか行きません。しょうがないので新幹線ホームへ向かうも新幹線も1時間ほど新白河停車便は来ません。途方に暮れてバスターミナルに戻ると今にも発車しそうな東武バスがいたので駆け込みます。東武バスなので東京方面に行くだろうと行き先を見ずに乗ったら新越谷行でした。結果的にその選択は正解でした。(調べたところ東京行きの高速バスも時間が合わなかったらしい)誰が乗るのかわからないガラガラの新越谷という微妙な行き先のバスに揺られて3時間ほどで新越谷到着。新越谷からは電車で1本で帰りましたとさ。

 

③ いつものひたすら収録するやつ-in 新潟-

 ②に同じく動機はE129で流れる三浦声の自動放送の収集が目当てです。以前E129は運行開始の2週間後くらいに録りにいったことはあったものの当時は運用範囲がごく限られており当時は2往復くらい限定の長岡⇔新潟の放送を狙って録りにいったものです。今は狙わずともたいていが129になっており本当に驚きました。つい最近のことのようにも感じられますがもう4年も前なんですね。

 1日目は長岡までダラ+長岡以南の信越線と越後線の録音。途中自動放送を切られたり115に来られるハプニング(普通の人はこれをハプニングとは呼ばない)がありましたがいずれも1本落とすことで対応可能でした。途中長岡では「イタリアン」という焼きそばにカレーをかけたローカルなソウルフードを頂きました。まあそこそこ美味しいのですが何故そういう呼び名なのかは不明です。

 

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↑正月の特別ダイヤなので湯沢にこんなのいた、レヤ!!!!

 

 2日目は水原線の自動放送と新井快速がメインです。水原線は1日に2往復のみ朝夕に電車運用がありますので朝にこれを収録した後、新井快速の時間まで適当に収録。新井快速は115の運用ですが、先日のダイヤ改正で大幅に削減されることが確定しておりましたので収録することに。

 3日目はいろんなガチャ運が悪い日でした。まずべにばなガチャ。こちらはキハ110かE120のどちらかが運用に充てられていますが固定ではないので完全に運。キハ110はおばさんワンマン声ですがキハE120は三浦声になっております。結果は[N]キハ110。事前調査によるとべにばなにキハE120が入るのはレアらしいですのでまあしゃあなし。1日1往復だけなので端から期待はしていませんでしたが。お次は弥彦線ガチャ。こちらもE129とE127の2種類が運用されており。前者のほうが三浦声になっております。勿論欲しいのは前者の方で前日も含め6度ほど回した(乗りに行った)のですがすべて[N]E127になってしまいました。なにがいけなかったんでしょうね~。まあこんな後味の悪い感じで新潟を離脱しました。ちなみに2.3日目はえちごツーデーという超破格の切符を使っていたため、越後湯沢まで新幹線に乗らせていただきました。まあ湯沢からは18きっぷでダラで帰りましたが。

 

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↑これきらい(E127)

 

④ ふつうの「旅行」

 これはえきねっと上で行われていた、とくだ値50という特急券+乗車券が半額になるというキャンペーンが行われているという噂を嗅ぎつけ、どうせならこれを使って北海道新幹線乗りつぶしをしてしまおうという、近年の自分では珍しい乗りつぶし目的の遠出です。といっても勿論、道中で収録をしないわけはありません。ただこのキャンペーンの設定は仙台以北相互発着限定になっており仙台までなにかしらの乗り物で行く必要性があったので、適当な夜行バスを予約し、仙台始発の便で函館まで行くことに。もう一つ特筆すべきことは自分にしては珍しく国内の「ホテル」に泊まる行為をしました。多分自分の金でホテルに泊まるのはネカフェに法律上泊まれなかった高校生時代以来だと思います。まあ理由は単純で函館にネカフェが3つくらいしかなく、1500円後半と強気の値段設定。一方冬季料金のおかげで安いビジホなら2000円前半で泊まれるという良心的な価格設定。これなら対費用効果も抜群ということでホテルに泊まることに。

 1日目、仙台まで3列独立の人権の塊に乗り仙台から新幹線で函館へ。新函館では旅するパスポートという函館近郊の公共交通機関に大概乗れる2日間有効のきっぷを購入し、道南いさりび鉄道の収録兼乗りつぶし江差線から会社が変わったので再乗りつぶしに)、全駅下車へ。しかしポイント2回ほどポイント不転轍に巻き込まれてダイヤが無茶苦茶になってしまい全駅下車は断念。かわりにおもしろい放送は録れました。夜は某コンビニの熱い料理人で調達。ついでに市電の駒場車庫前行を収録。

 

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↑暗すぎてボケてんねんな、カメラの換え時でしょうね

 

 2日目。することを決めていませんでしたが切符がかなり広いエリア使えるので亀田半島をぐるっと1周することに。函館バスを4回ほど乗り継ぎ函館BCから鹿部駅まで。途中温泉などに浸かりながらゆったり1周。夜はハセガワストアとラッピーでいろいろ買い込みご飯に。飯から立ち寄り地まで自分らしからぬ「旅行」を久しぶりにした気がします。といってもバスは最初から最後までしっかり録音していましたが。

 

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↑亀田半島の東はこんなかんじのとこ。

 

 3日目。午前中は申し訳程度の収録要素(早朝の末広町止め)と函館市電の降り潰しと空いた時間で郵便局を10局ほど訪問。午後に函館を離脱しフェリーと夜行バス(コレも3列独立!すごい!!)を乗り継ぎ帰宅。久しぶりに人権のある旅をした気がします。

 

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↑おまえレア行き先の写真ばっかだな。

 

武豊線の快速

 以前から気になっていた武豊線の快速がダイヤ改正で消滅すると聞き、突発で行くことに。これは一人ではなくもうひとりのオタクと行きました。バイトが終わり、ダラでひたすら成岩の快活を目指します。途中の静岡で初めてのさわやか。平日ということもあり10分待ちで済みました。大府には日が暮れる前についたので武豊線の駅をいくつかを降ります。途中、連れがワンマンの武豊行きの放送を録りたいというので既に録ってある自分は乙川という駅の近くの家電屋で1時間ほどプリパラをやりこみます。人が少なくて快適でした。その後、名古屋のもうひとりのオタクに会い歌志軒を布教されました。で、まあハマったんですけどね。

 次の日、武豊線の全駅下車を終えた後に昨日のオタクと迎合し3人で武豊線快速を録音。その後特にすることもなかったのでまた歌志軒に行った後、市バスターミナルの放送を録音。最初は30分位しかいる心算はなかったものの意外とおもしろいと3時間ほど滞在し日中パターンにある行き先を全て収録しました。その後翌日にLVがあったので早めに名古屋を離脱して帰宅。

 

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↑これだけ見てもなんのレア感もない

 

 

 というわけで突貫でいままでの遠出をまとめてみました。「飽きが来るまでにこの記事を書き終える」というのがこの記事の目的ですので、文章の推敲も校正もしていません。そのため多分読み返したらめちゃくちゃ読みづらい文章になっていることでしょうがお見知り置きを。それぞれの詳しい中身を知りたい!!という方はツイログを見ればわかるんじゃないかな。(特に①と②。)確かに今までのように詳しくこれらの行程をまとめたい気持ちはあるもののそれは一生かなわない夢となることでしょう。また、当方昨日まで香港に行ってきましたのでそちらは詳しく写真を添えていろいろ今までどおり書ければな、と思います。では、次の記事はいつになるかわかりませんがその時にお会いしましょう。ちなみにTwitterにならいつでもいます。

ヨーロッパに行ってきたよ。②ベネルクス編

 というわけで1カ国目。オランダです。空港についたところからです。取り敢えず空港ではさっさと入国を済ませて、ホテルへ向かいます。狭い飛行機は乗るだけで体力を消費するし、そもそも地に足がついてないのが不安でしょうがないのでいまいち好きになれないんですよね。その為日本の中の移動は専ら陸路か海路です。


 スキポール空港ではとりあえず電車を待ちます。いろんな行き先がありどれが中央駅に行くのかぱっと見分からないので中央駅止まりの確実に行くsprinterを待つことに。名前がかっこいいですが要はE電だか国電だか大都市近郊の各駅停車のイメージです。とは言っても軽く140くらいだしていたので普通電車???って感じはしますが。


 アムステルダム中央駅は通過式ホームですが、12番線まであり、ヨーロッパの中核駅を感じさせます。流石です。とりあえずチェックインの時間までまだ時間があるので写真撮影をします。
 あれ…?SDカードがない。は?(前半文章だらけなのはそういう事情です)

 

 どうやら家に忘れてしまったようです。今まで一度たりとも数先々の取材でSDカードを忘れたことのない自分がまさか海外で忘れることになるとは思ってもいませんでした。しょうがないので先生で「アムステルダム 家電屋」で検索。日本語でこんな検索方法で出るかよと苦笑しながら取り敢えず検索すると…ありました。アムステルダム駐在の日本人の方がご丁寧に比較検討しています。おまけに中央駅から徒歩5分とあるではないですか。これは行くっきゃないなと。SDカードはあるか知りませんが取り敢えず急いで行くことに。


 MediaMarktというお店です。さっさと事を済ませたいので特攻するもでかすぎるバックパックが店員の目に泊まり入り口の前の無料ロッカーに預けろと。4桁のパスワードを入力して鍵を締めます。試しにロックがなされているかしっかり確認します。されています。やったぜ。試しに開けてみようとします。開きません。は?番号押し間違えたか?焦って何度も入れるとロックがかかってしまいました。初っ端から問題が連鎖しています。しょうがないので店員を呼んで怪しい英語で開けてもらいます。またこのロッカーに仕舞うのも嫌なので連れに荷物を抱えてもらったまま店の外で待ってもらいます。肝心のSDカード探しの再開です。10分かけて見つけたものの広い店内の割に1種類しか売られていません。しょうがないのでこれを買います。税込50ユーロ弱。鬼か。どうやらこの国は購入物によって税率が違うらしくこのような電化製品は18%もかかってくるようです。日本の税率もまだまだ低い方なんだなぁと実感させられます。


 そのまま、再度駅に戻りバリデーションを済ませます。これは先述のユーレイルパスの使用開始手続のことで、パスポートを提示し切符の空欄を駅係員に埋めてもらう作業のことでして、これをしないと切符が有効化されません。こっちは特に問題もなくスムーズに進みます。そのまま、荷物を置きにホテルへ向かおうとしますが、出入り口の鍵が閉まっています。インターホンを鳴らしますが何の気配もありません。やらかしたかと思ったらこのホテルチェックインは完全予約制なので送った時刻以外のチェックインはできないようです。弱ったなぁと思いつつもうSDカートもあるので何も怖くないですね。駅前の電停で暇つぶしにいろいろトラムを眺めることに。この時間の消費方法は鉄オタの特権ですね。

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↑ なんかいっぱい来ます。乗り場はこの他にも3箇所くらいに分かれています。


 そしてあっという間にチェックインの予定時刻に。スーパーで多少買い込んでホテルへ。一応「ホテル」という名前はついていますがそんなたいそう豪華なものではありません。ゲストハウス的な何かです。建物自体は1600年からあるものを使用しているそうです。なかなか歴史的な建造物で結構ではございますが、ズブズブの土地に400年前から建ってる建物なので建付けが悪いのなんのその。鍵が頑張っても閉まらないわけです。まあでも安く泊まれたので文句は言いません。朝食もただなので。

 


 2日目です。この日はクッション日ということで一日フリーです。切符の使用はこの次の日からなので、アムステルダムを一日中放浪します。駅前で交通局の一日券を買い、とりあえず市街へ繰り出します


 連れが観光がしたいと言うので観光を先に済ませます。まず、聖堂を見ます。大きいですね。次に花市場です。盆栽があります。アンネ・フランクの家です。人が多すぎて入りませんでした。橋です。きれいですね。すごい。以上です。小並感を並べまくっていますが、アムステルダムといえば運河の街。このような観光名所を回るよりも、ゆっくり町を歩くだけでも観光になります。そしてヨーロッパの他の各都市とは一線を明らかに画しています。薬物が合法化されていたり、娼婦が普通にいるので雰囲気がいい街とは言えませんがなかなか特徴的だと思います。

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↑ そこら中にこんな感じの橋があります。


 観光パートが終わったのでオタクパートに入ります。橋の近くのWaterlooprenからとりあえずCentraal Stationへ地下鉄で向かいます。誤字っぽく見えますがオランダ語だとaが2つになります。とりあえずトイレに行きたいということで国鉄構内のトイレで済ませ、再びメトロへ。アムステルダム干拓地なので地盤は広島レベルでズブズブです。なので「メトロ」とはいいつつ地下区間都心部の数駅間だけで、あとは全線高架になっています。そもそも「メトロ」というのは都市鉄道という意味なので地下である必要性はないのですが。ただそれにしても20分間隔で都市鉄道を名乗るのはどうかしていると思いますよ。腐っても首都ですからね。


 行く場所も決めていなかったので適当に来たGein行に乗ります。降りる駅も決めていませんでしたが、郊外にでると両脇を国鉄に挟まれて走行していたので、適当に国鉄との接続駅であるBijlmer ArenAで下車。最後のAが大文字ってことはBもあるのかなんなのかみたいに思っていましたが駅前には大きなスタジアムがありこの「ArenA(アリーナ)」が固有名詞なのでそのまま名付けられてるっぽいです。どこの都市にも郊外は駅前が広くて巨大なショッピングセンターが併設されたような日本で言うニュータウンのような街がありますね。没個性といえばそれまでですがこういう町は歩いていて気持ちが良いので好きです。ここもそんな町で住みやすそうですね。電車の本数を除けば。

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↑ きれいな駅です。


 とりあえず町をある程度歩いた後は、市内へ戻ります。ただ単純に来た道を戻るのもつまらないので中心繁華街を迂回するような路線に乗ります。これじゃ言葉ったらずでわかりずらいかもしれませんが武蔵野線のような感じを想像していただけるとわかりやすいですね。Isolatorweg行に乗車し、とりあえず終点まで向かいます。この路線は全線国鉄と並走しており、国鉄との複々線緩行線のような役割をしているようです。緩行線と急行線で運営会社が違う複々線とはなかなか面白いですね。利用者にとっては初乗り2回分を払わなければいけないので苦でしかなさそうですが。


 終点のIsolatorwegは車庫に合わせて作りましたという感じの駅で駅前に何もありません。中央駅方面へ向かう国鉄の路線は1駅手前で乗り換えができるのでますます存在意義が不明です。ここにいてもしょうがないので、先述の国鉄との接続駅、Sloterdijkへ向かいます。

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↑ めっちゃなんもない。Isolatedしてそう。


 国鉄のSloterdijkは折尾のような構造をしています。十字に交わる路線と南から東へ抜ける線路があり、この線路だけは離れたところにホームがあります。改札はつながっていません。面白いですね。つれが国鉄の電車を撮りたいと言うので、この駅で撮影をします。自分はひたすら録音していました。ただ、後々に気づいたのですが、ひたすらこの駅では同じなんらかの啓発放送を繰り返し流しているらしいのです。1時間突っ立て録音した意味のNASAですね。はい。ちなみにこの駅はそれなりに電車がくるので録音以外にも普通に楽しめました。

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↑ 681系かな?


 連れの撮影が終わったので、宿のある中央駅へ国鉄ではなく一日券の使えるトラムを乗り継いで戻ります。この区間国鉄だと5分ですがトラムを乗り継ぐと1時間近くかかりますね。馬鹿馬鹿しいです。途中、公園の両脇をトラムが走っている区間があったのでそこを散策して、帰りました。

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 ↑ こんな感じの雰囲気。なんで電柱の前でとったのかは知らない。

 

 3日目です。いよいよ、ユーレイルパスの使用開始日です。7:16発のAmsterdam Centraal発Pari-Nord(パリ北)行のThallysに乗ります。とはいってもパリまでは行かずに途中のBruxelles-Midiブリュッセル南)で降ります。今回初のヨーロッパの列車にして初の高速列車です。車体はワインレッドで纏われておりおしゃれですね。ただ、内装もこれに近い色で自分には少しどぎつい感じはしました。2時間ほどの道のりです。

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↑ くらいね。どぎつい赤がわかりづらい。でも名前はわかるでしょ。

 

 あっという間にオランダを縦断し、2カ国目、ベルギーに入国です。この日の宿はブリュッセルから1時間ほどの町にあるので、ブリュッセルでは多く時間がとれます。と言っても観光名所を全く調べていませんでした。しかしベルギー国鉄といえばAM96。IC(インターシティー、都市間列車のこと)専用の車なんですが、この車の顔が最高にださい。見てくださいこれ。

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↑ ダサい。

 

ダサすぎますね。何を考えたらこんなものが作れるのか不思議でしょうがないですが、この周りのゴムは幌です。3連で1編成を構成していますが、この1本で走ることは極稀で、基本的にはこの車同士で増結します。そのときこのゴムが幌のような役割を果たし、真ん中の黄色い板は格納されます。なかなかにCrazyな車ですが、とりあえずこいつを見たい!乗りたい!ということでMidiで待機することに。待つこと20分、唐突に空港行きの電車としてこいつが入ってきました。おまけに顔に「MAD」なんて落書きされています。そんなにMADにしてほしいのかそれとも自分がMADな顔だって主張したいのか。

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↑ 突然入ってきたMADなヤツ。突然だったので構図もMAD。お前をMADにしてやるよ。(なお放送素材はない模様)

 

真偽の程はわかりませんが、とりあえずBrussel-Luchthaven(ブリュッセル空港)へ向かいます。


 20分もかからずついてしまいましたが、途中でTrain Parkなる施設を見つけました。調べてみると案の定ベルギーの鉄道博物館ということが判明し、とりあえずそこへ向かうことに。空港発の電車はこの最寄り駅には止まらないので一度Bruxelles-Nord(ブリュッセル北)駅へ行きそこから折り返して一駅戻ることにします。

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↑ 小汚い北駅。リノベするお金がなさそう。


 北駅で3分折り返しに成功し、近郊電車のLeuven行で一駅、Schaerbeekで下車です。多くの子連れの親子が降りていったのでついていくと案の定、Train Parkの出入口につきました。入場料は1000円程度と少し物価を考えると高めですが、せっかくここまで来たので入らないわけにもいきません。


 肝心の展示はなかなか面白かったです。実写や模型を交えて展示されており、かつ幾つかのブースが時代ごとに分かれているといった感じです。非常に良くできた展示だなと思うと共にヨーロッパならではの様々な車両の展示があり面白かったです。一ついうなれば、空調が弱すぎて熱中症になりそうだったのがアレですね。

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↑ しっかり実写の展示もしてあります。大宮よりテーマ性があって面白いかも。説明とかは読めないけど。


 鉄道博物館を出るともう昼のピークを回っていたので中央駅近辺で飯屋を探すことに。ベルギーの名物と言えばフリッツらしいのですが、これは単なるフライドポテトのことです。今となってはどこでも食えますが、一応発祥なのでたべておきます。味はまあ普通ですね。これと言って美味しいというわけでもなく、そもそもポテトなんて味に差が出ませんしね。駅前というだけあって完全に観光地価格です。飲み物は頼まず、ポテトだけ食って出てきました。水とジュースは別の近くにあった個人経営のコンビニ的な店で購入します。物価は日本より少し安めと言ったところです。水分補給をしたあとは、アムステルダムのときのように弾丸観光ツアーです。と言ってもブリュッセル自体は意外と見るものも少なく、思ってたよりも町も綺麗ではありません。おまけにパトカーがそこら中を駆け回っており非常に物騒です。しょうがないので主要観光スポットを押さえたらさっさと今日宿泊するホテルの町まで移動します。

 

 まず、ブリュッセルといったらこれ

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↑ 像の割に人が多すぎる。

小便小僧です。これおもったよりも小さくてしょぼいんですよ。なんでこれが有名なのかよくわかりません。正直浜松町と大差ないですよ。ちなみに小便小僧とは対になるような小便少女という像もあるんですが…

 

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↑ ベルギーのやべーやつ

柵の中なので少し見づらいですがM字に足を開いちゃってます。ヤバイですねこれ。はい。

 

 中央広場を経由して再び中央駅に戻りました。ここから本日の目的地、Liegeに向かいます。3分ほど遅れて到着したWelkenraedt行のICでLiège-Guillemins(リエージュ=ギユマン)まで乗車します。

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↑ 中央駅なのに地下なの素っ気ない。

 

1時間ほどの乗車ですが、ガラガラの2階建ての車が来たので快適です。この区間は毎時3本もあるようです。そもそもリエージュの町はブリュッセルから100kmほど離れており、人口も20万ほどなので決して人口も多くないんです。それなのにコレだけの本数の電車が行き交っているというのもなかなか素敵なことですよね。ベルギーは西欧の中ではかなり貧しい方の国ではありますが、やはり西欧だなと感じさせるような鉄道の利便性が確保されています。遅れも回復し、定刻通りリエージュ=ギユマンに到着です。

 

 さて、何故このようなあまりなの知れてない都市を宿泊地にしたかというと 

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これです。これが駅舎なんです。ヨーロッパの駅舎はどれもかっこいいなんて言われてますが、コレばかりは図抜けてかっこいいと思います。とある本でたまたま見つけて以来一度言ってみたいと思っていたのでテンションMAXです。とりあえず、一時間ほど駅舎を撮影。でその後に、録音しやすそうな良さげなところを見つけたので1時間ほど粘ります。どのホームでも同じ放送が流れる、且つ停車駅全部読み上げがあるので非常に素材が溜まりやすいです。実はこの駅で自分はいろは合作を申請していたのですが、残念ながらいろは合作は企画倒れになってしまったそうです。悲しいなぁ。

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↑ かっこいい駅舎と糞ダサ電車。こないで。

 

 一通り録音も終わったので、ホテルへ向かいます。ホテルは市街地の真ん中にあるですが実はこのリエージュ=ギユマン駅自体が市街地の外れにあり、市街地へはここからバスか、ここから分岐している支線格の路線の2つ先の駅であるLiège-Palais(リエージュ=パレ)駅まで行きそこから10分ほど歩くかという2つの選択肢があります。日本で言えばギユマン駅が八戸駅でパレ駅が本八戸駅のような感じだと思って下さい。(一部の人にしか伝わらなそうな例えでごめんなさい)もちろんバスは乗らずに、切符が使えるパレ駅まで電車で向かいます。

 パレ駅は先程の大胆で美しいギユマン駅とはうって変わり両脇をトンネルで抱え込まれており、必要最低限の設備だけあるというような日本の駅に非常に似た構造で親近感を覚えます。

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↑ ホームが長くて一部トンネルにかかっています。

 

ただここ終着の設定もそれなりにあるので、八戸線よりは全然恵まれています。ギユマン駅までは最低でも毎時4本はありそうです。(ただしパターンダイヤでゎない)とりあえず、連れがワッフルを食べたいと言うので市街中央へ。ミーハーかよ。ブリュッセルではワッフルは食べませんでしたが、リエージュのワッフルもかなり有名だそうでブリュッセルのものと少し違うらしいです。へぇ。まあ旨かったのでありです。で、折角なのでレストランでも入ろうとしたのですがなぜかネオナチっぽい人たちが広場にそれなりに湧いていたので撤収しホテルへそのまま入ることに。買い物は駅前のカルフールで済ませてホテルで夕食です。

 

 

  4日目です。この日の移動は大してありませんのでホテルで朝食を取ってコンディションを整えます。が、11時発はあまりにも遅すぎるので、9時頃宛もなくホテルを出ました。この日はルクセンブルクまでの移動ですが、パレ駅から1本で着くことが出来ます。しかし、直通する電車は2時間間隔でちょうどホテルを出たくらいにパレ駅を出発したので、ちょうど2時間位空いてしまいました。タイミングが非常に悪いですね。なので折角なら始発からこの電車に乗って録音しつつルクセンブルクへ向かおうとこのルクセンブルク行の電車の始発駅Liersまで向かい、そこから引き返すことにします。

 

 Liège-Palais駅に到着し、すぐにLiers方面行が来たので乗ります。Local、すなわち普通電車ですが車両は昨日乗ったどのICよりも新しいです。おまけに自動放送までついていますね。素直に射精です。Liersですることは全く決めていなかったのですが、ICの始発駅にもなっているし殆どの列車の始発になっているのでなにかあるだろうということでLiersにはルクセンブルク行の始発の1時間ほど前に到着します。が…

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↑ い~なかヤバすぎクソ過疎wwww

 

 ホームがまず砂利です。全体を覆う屋根もありません。駅舎も見当たりません。客を降ろすとすぐに電車は引込線へ引き上げてしまいました。おまけに雨も降っている上、かなり肌寒いです。こんなところに1時間いろってことですかね。駅前もGooglemapを開くと小さな集落があるだけでした。ベルギーの備後落合とでもいいましょうか。始発駅だから~、乗換駅だから~の論理を適用してはいけないのは万国共通のようです。恐れ入りました。今はそれよりこの駅をさっさと脱出する方法を考えます。こうなったら録音とか言ってる場合じゃありません。とりあえず次のLocalが15分後に来るようで、これに乗れば昨日のギユマン駅を経由します。ルクセンブルク行のICもギユマンを経由してから南下するのでとりあえずこのLocalに乗ることにします。このLocalはMarloie(マルロワ)行とあったので興味本位で何処に行くか調べた所、どうやらルクセンブルクの方向へ向かうようなのです。更にこのマルロワはブリュッセル発でギユマンを経由しないルクセンブルグ行に乗り換えができるので、大人しくこの駅で45分ほどICを待つよりも1時間はやくルクセンブルグに着けるようなのです。おまけに何と言ってもこの自動放送付のLocalを終点まで録音できますね。これはこのルートを選択するしか無いでしょう。

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↑ 近代的な設備。LCDだけでいいような気がする。

 

 マルロワまでは2時間ほどの道のりです。案の定ギユマンまではガラガラでそっからどっと乗ってくる感じでした。しかし2駅先のローカル駅で車内は再びもぬけの殻に。これまでのTHEヨーロッパって感じの草原がただ広がっている景色とはうって変わって山間の流れる川に沿って蛇行するような日本にありがちな景色になりました。それでももちろん集落の屋根や文字で異国情調は十分に感じられます。録音してるので一応駅名標集めもかかさずに行います。

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↑ 母音がないですね。どう発音するんだこれ。(放送も聞き取れなかった)

 

 マルロワに到着後、すぐにブリュッセルからのICが入線してきます。キモ顔AM96くんでした。お前他の国にも殴り込みしてんのか。9両だったので3本繋いでますね。1時間ほど、それなりに混んでいたので特に何もせずに3カ国目、ルクセンブルグに入国です。

 

 ルクセンブルグはいわゆる矮小国家ですが、ヨーロッパ第2の金融市場としてそれなりに栄えています。また、国民1人あたりのGDPも世界トップクラスです。俺もこういう国に生まれたかったよね。きっと将来も安泰でしょうね。ただいくら矮小と言っても神奈川県くらいの面積はあります。なので端から端までは2時間位かかるところもあります。そして国鉄が存在します。略称はCFLでルクセンブルグ国内では6番目に大きな企業だそうです。そんなCFLの車両に一度も乗らないのも惜しいのでとりあえず、2時間ほどで往復できそうな列車を時刻表で探します。目的地で乗る電車を探すのではなく、車両と所要時間で乗る電車を探すのはオタク旅行ならではのそれって感じです。結局目星をつけたのがAthusという駅へ行くLocalです。この時点でAthusが何処にあるかなんて言うのは二の次で、片道30分と少々短めですが折返し時間も適度なのでこの電車に決めました。車両はCFLの2階建ての電車です。見覚えのある方だと思ったらSNCFなどで見かける車両と同じ形だそうです。ただ、CFLは赤基調の塗装なのでこっちのほうがかっこいいですね。

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↑通勤電車も2階建て。

 

 スピーカーも座席の上で取りやすかったので録音します。自動放送もありますね、素晴らしい。ただ駅名を単純に読み上げるだけのようです。素材にはしづらそうですね。30分で到着するのであっという間です。降りてから気づいたのですが、Athusはどうやらギリギリでベルギーの様です。そのため、駅のサイン類がベルギー国鉄のものになっています。まあ国がどうであれCFLの路線と車には乗れたので大満足です。そのまま10分弱の折返しでふたたびルクセンブルグ駅へ戻ります。

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↑ ベルギー国鉄のマーク

 

 ルクセンブルグ駅に到着後、まだ3時ほどだったので観光をします。と言っても例の如く観光名所も知らないので適当に旧市街をほっつき歩きます。旧市街と駅の間にはかなり深い谷があり、その間にはかなり高い橋がかかっており、矮小国家が矮小国家たる所以を垣間見れたかなという感じがします。これは軍事的にも圧倒的に有利だったのでしょうね。旧市街散策後、Quickというこちらのファストフードチェーンで遅めの昼食です。金のある国だけあって物価が高めです。その後深い谷に降りて下から橋を見上げてホテルに入りましたとさ。

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↑新市街と谷。深すぎるので谷に降りるエレベーターがある。

 

 そんなところです。次の更新ではスイスくらいまでたどり着きたいです。某アニメの聖地として有名な町や、私鉄合作で有名なあの特急もでてくるかと思います。

 

 

 

                                          つづく

                                      

 

ヨーロッパに行ってきたよ。①準備編

というわけで3週間ほど掛けてヨーロッパに行ってきました。まあここを読んでくださってる皆さんなら多少たりとも僕のtwitterは見てる(そうですよね???ね!!???!!!!!)と思うのですが、ヨーロッパのある程度を周遊してきました。当分この周遊についての記事が続くと思いますが、お暇があれば付き合っていただければ光栄です。というわけで今回はプロローグを含めて準備編。

ぼちぼち海外は行ってますが、今回親抜きで行くのは実は初めて。海外慣れしてるなんて思われることもありますが、一から飛行機、ホテル、切符その他諸々を自分で調達していくのは初めてです。そして自分は大学受験を経験していないので、英語力はガバガバ。もう一人連れがいますが、そいつも受験をしておらずやはりガバガバ。こんなんでやっていけるのか不安でしょうがなかったです。

それで、今回使う切符はグローバルユーレイルパス。ヨーロッパ諸国の国鉄や一部私鉄の一部高速列車や寝台車を除く鉄道が乗り放題になります。また、かなり安価な追加料金で寝台車や高速列車にも乗れます。神かな?お値段、こちら15日間有効、ユース料金(25歳以下)で387ユーロです。1ユーロ120円とすると大体4万円強ですね。とっても安いです。1日3000円くらいですか。18切符よりちょい高いくらいです。太っ腹ですね。

また、この切符と合わせて幾つかの寝台券や指定券を日本から手配しました。結局指定料金諸々合わせると値段が少々張ってしまいましたが、それでもかなり安価に旅できます。

ホテルはBooking.comで適当に調達。問題は航空券です。問題と言っても取る段階まではスムーズに行ったんですが、その後です。航空券を取った一週間後にカタールと周辺国家が断交をしたというニュースが飛び込んできました。何を隠そうできるだけ安く行きたいのは学生の捜。自分は返金不可のカタール航空のチケットを取ってしまったわけですね。んまあ様子見で本当に危険だったら旅行中止まで検討しましたが、イランを巡るただの外交的戦術ということがわかり、落ちることはないだろうとそのまま存置。ただカタール航空周辺諸国の領空ての侵入を禁止された為、ドーハ空港へのアプローチの方角が限られてしまい、乗継の心配が発生。所定では2時間乗り継ぎでしたが、出発ギリギリに到着時刻の変更とかいうお知らせが来て1/4くらい乗換時間が削られることに。この上、更に遅れられたら乗換は失敗するかもわからないという状況に。

そんなことをしてるうちに当日がきました。羽田発の便は夜中なので9時前のたまプラを出るリムジンに乗ります。この時間は国内線はもう出発しないらしくこれ以降全て国際線ターミナル直行便になっているようです。この時間は日中の本数にさらに毎時1本加わった20分間隔での運転ですがそれなりに人がいました。やっぱ羽田は近くていいですね。成田は💩

バス到着後、いろいろとチェックインを済ませて飛行機に乗り込みます。機内は照明がピンクと紫で滲み出るラブホ感。でも座席前のタッチパネルはこの類にありがちなガバガバタッチパネルとは違い、かなり感度が良くてびっくりでした。素晴らしいですね。あとこの表現なんかアレですね。

10時間かけてドーハにつきました。チケットの時刻より1時間早くついたので乗り継ぎとは何だったのかって感じですね。綺麗な空港を少し散策したあとはベンチで暇つぶし。取り敢えずデレステを起動して10連を引きます。ドーハの悲劇。癪なのでもう10連引きます。SSRが2枚も出ました。しかも両方めっちゃ欲しかったやつですね。やち神。

ゲート前のベンチの数は少なかったのですが、早めにゲート近くまで移動していたことが幸いしてベンチを確保。2時間ほど暇をしたのちに搭乗開始。先程より機体は狭いですが、相変わらず座席は満員御礼です。こちらは6時間ほどで目的地のアムステルダムスキポール空港に到着です。

 

この後は国ごとにいろいろ書いていきたいと思います。中には素通りだけとか言う国もあるのでそれはまあ割愛します。ではでは。